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時計宝石店を営んでいた寄贈者の自宅兼店舗焼け跡から見つけたオパール。自宅2階で朝食を取ろうとしていた寄贈者の父・池田治一(じいち)さん(当時43歳)は、B-29の爆音を聞き、近所の人に危険を知らせようと窓から顔を出したところで被爆。2階から1階店舗の陳列ケースの上に落ちた。治一さんは大けがながらも近所の女性たちを連れ、必死で妻の実家へ逃れた。母・タカヨさん(当時35歳)は生まれたばかりの二女・弘美(ひろみ)さんを背負い、病院に行く途中で被爆。差していた日傘が吹き飛び、熱風を感じて伏せようとしたが間に合わないまま、顔や首にやけどを負った。寄贈者の光江さん(当時15歳)は学徒動員で離れた場所におり、そのまま救護活動に動員されていた。治一さんは帰ってこない光江さんを心配し、重傷の身ながら捜しに行くと言い張るので、代わりに祖父が光江さんを捜しに行き「お父さんが死にかけている」と伝えた。被爆翌日、光江さんが避難先に着くと、妹・弘美さんは顔も手も焼かれ「ひっくひっく」と声をあげていた。光江さんの方に顔を向けてもやけどで目もあかず、間もなく亡くなった。8月末には尻の肉がえぐり取られ、全身やけどだった治一さんも苦しみ抜いて息を引き取った。9月頃、光江さんが自宅焼け跡に行くと焼け残った金庫は開けられ、金目のものはすべて無くなっていた。土の中に金属供出で台を外した宝石がいくつか埋まっていたので土を掘ろうとしたが、煙が上がって来て、あまりにも気分が悪くなり、土に残ったものを捜し続けることができなかった。生き残った光江さんとタカヨさんは治一さんと弘美さんを亡くし、店も何もかも焼け、全てを失った。このオパールは中身が軽石のように焼けてしまい、売ることもできなかったので、タカヨさんが家族の形見としてずっと大切にしていた。 |