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トップページ被爆資料勲章(明治37・8年従軍記章)

被爆資料

識別コード 3505-0014
資料名 勲章(明治37・8年従軍記章)
資料名(英語) Medal
寄贈者(カナ) 粂 博子(クメ ヒロコ)
寄贈者(英語) Hiroko Kume
受入年月日 2000/11/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 37×50×8
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 尾道町
被爆地(現町名) 大手町二丁目
爆心地からの距離(m) 450
数量 1
内容 比治山高等女学校生徒の木原博子さん(当時16歳)は、動員先の広島駅で被爆した。ガラスの破片で、血だらけになるほどの怪我を負ったが、徒歩で家族の集合場所である可部町へ避難した。しかしいくら待っても両親は現れず、翌日市内へ向かった。父八十吉さん(当時65歳)と母テルさん(当時60歳)は、自宅で被爆し、死亡していた。被爆後、自宅焼跡は、すべてが灰となっていた。博子さんは、何日もたった一人で両親の遺骨を捜し続け、灰の中からやっとの思いでわずかな遺骨を見つけ出した。これはその時に焼け残った金庫の中で見つけたもの。金庫内の書類は全て灰となっていたが、焼け残ったこの勲章だけが八十吉さんの唯一の遺品となった。
ブロック別 紙屋町・本通地区
展示説明文 比治山高等女学校生徒の木原博子さん(当時16歳)は、動員先の広島駅で被爆しました。ガラスの破片を浴びて血まみれとなりましたが、徒歩で家族の集合場所としていた可部町へ避難しました。しかし待っても両親は現れず、市中心部は全滅と聞き、翌日博子さんは市内へ向かいました。父八十吉さん(当時65歳)と母テルさん(当時60歳)は、自宅で被爆し、死亡していました。博子さんはすべてが灰となった自宅焼け跡で、たった一人で両親の遺骨を拾いました。これらは自宅焼け跡で見つけたもので、両親の唯一の遺品です。
展示説明文(英語) Hiroko Kihara (then, 16), a student at Hijiyama Girls High School, was exposed at her mobilization site at Hiroshima Station. Her body was pierced with glass fragments and she was covered with blood, but she escaped to Kabe Town, which her family had designated as a gathering place. She waited in vain. Finally learning that the city center was totally destroyed, Hiroko headed for the city center the following day. Her father Yasokichi (then, 65) and mother Teru (then, 60) had been killed at home.Hiroko, all alone, gathered her parents’ bones from the burnt ashes of their house. She also found the medal and the bowl, her only other reminders of them.
資料性質 被爆資料

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