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被爆資料

識別コード 3504-0034
資料名 財布
資料名(英語) Wallet
寄贈者(カナ) 水本 俊夫(ミズモト トシオ)
寄贈者(英語) Mizumoto Toshio
受入年月日 2001/11/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 110×80×10
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 水主町
被爆地(現町名) 加古町
爆心地からの距離(m) 900
数量 1
内容 弟の水本健一さんは水主町の県庁附近の建物疎開作業現場で被爆した。油谷重工業(株)に動員されていた健一さんは6日たまたま建物疎開作業に動員されていた。近くの川に飛び込んでいるところを会社からの救護隊に発見され、祇園町の仮設救護所に運ばれた。知らせを受けた父親の繁夫さんが迎えに行ったが健一さんは動かせる状態ではなく、一目、母親のちはるさんに会わせようと繁夫さんはちはるさんを迎えに一旦帰宅した。健一さんはその帰りを待たず7日未明亡くなった。この財布は当時身につけていたもので、小学校時のランドセルから健一さんが自分で作ったものだった。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 水本健一さんは、動員先の工場から建物疎開作業に派遣された水主町で被爆しました。近くの川の中にいるところを会社からの救護隊に発見され、祇園町の仮設救護所に運ばれました。知らせを受けた父親の繁夫さんが迎えに行きましたが、健一さんは動かせる状態ではありませんでした。繁夫さんはせめて一目でも母親のちはるさんに会わせようと、ちはるさんを迎えに一旦帰宅しましたが、その帰りを待たず、健一さんは7日未明に亡くなりました。この財布は、小学校時代のかばんから健一さんが自分で作ったものでした。
展示説明文(英語) Kenichi Mizumoto was exposed at Kako-machi,where the factory where he was mobilized had sent him for building demolition work.A rescue team sent by his company found Kenichi in the nearby river and carried him to a temporary relief station in Gion-cho.Hearing the news,Kenichi'sfather,Shigeo,went to the relief station to bring him home,but found his son in no condition to move.Wanting his wife,Chiharu,to see her son one more time before he died, he hurried home to fatch her to the relief station. Before dawan on the 7th and before the reunion could take place,Kenichi died.Kenichi had made this wallet himself using his elementary school backpack.
資料性質 被爆資料

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