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被爆資料

識別コード 3502-0044
資料名 懐中時計
資料名(英語) Pocket Watch
寄贈者(カナ) 渡部 佐恵子(ワタナベ サエコ)
寄贈者(英語) WATANABE Saeko
受入年月日 2015/05/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 38×65×8(時計)、270×5×5(くさり)
被爆地(旧町名) 下中町
被爆地(現町名) 袋町
爆心地からの距離(m) 540
数量 1
内容 父・渡部榮さんの遺品。榮さんは、勤務先だった広島中央電話局で被爆。電力室にいた榮さんは、やけどは負わなかったものの、肩から膝へ一気に電気が通り抜け、肉が裂けていた。両手は「ハッと」開いた状態で、即死だったと思われる。被爆翌日、榮さんを捜しに行った妻のタマギクさん(当時47歳)と知人が遺体を発見した。形見に、と榮さんの遺体から金歯を待ち帰ろうとしたが抜けず、タマギクさんはそんなむごいことをしなくてもいいと泣いた。タマギクさんは泣き崩れて自宅へ帰ってきて、その後も1年くらい夜中に泣いていた。この懐中時計は、榮さんが腹巻の中に入れて身に着けていたもので、遺品として大切に持ち帰り、今日まで娘の佐恵子さんが大切に守ってきた。
佐恵子さんのお話から
宇品国民学校4年生だった私は、双三郡へ集団疎開していました。しかし被爆前、なんの虫の知らせだったのか、父が迎えに来て先生とけんかしてまで私を自宅へ連れて帰りました。そんなある日、私は電車から降りたところで暁部隊のバタンコにひかれて足を骨折しました。しばらく県病院に入院し退院しましたが、あまりうまく骨がついていませんでした。退院から数日後だった8月6日は、母と一緒に自宅にいました。父は勤務先へ行っていました。被爆直後から、傷ついた電話局の関係者が父を頼って避難してきましたが父は帰らず、翌7日、母たちが勤務先へ向かい、電力室で亡くなっている父を見つけました。母は泣き崩れて帰宅しました。生前、父は私の足の治療をやりなおそうと、東照宮近くの接骨院を予約してくれていました。翌8日がその約束の日で「せっかくお父さんの気持ちだったのだから」と、母は私を乳母車に乗せ、泣きながら接骨院へ行きました。私も泣きながら行きました。
ブロック別 紙屋町・本通地区
展示説明文 懐中時計
寄贈/渡部佐恵子氏
爆心地から約540m 下中町(現在の袋町)
渡部榮さんは、勤務先の広島中央電話局で被爆。翌日、帰らぬ榮さんを捜しに来た妻のタマギクさん(当時47歳)らが、亡くなっている榮さんを発見しました。電力室にいた榮さんは、肩からひざに一気に電気が通り抜けたのか、両手は「ハッと」開いた状態で、肉は裂け、即死の状態でした。この懐中時計は、榮さんが腹巻の中に入れて身に着けていたもので、遺品として大切に持ち帰り、今日まで娘の佐恵子さんが大切に守ってきました。
展示説明文(英語) Pocket Watch
Donated by Masako Watanabe
540m from the hypocenter Shimonaka-machi (now, Fukuro-machi)
Mr. Sakae Watanabe was exposed to the A-bombing when he was at his workplace at the Hiroshima Central Telephone Bureau. On the following day, he was found dead by his wife Tamagiku (then, 47) and others who came to the bureau to find him. Mr. Watanabe was in an electricity room. Presumably because electricity had run from his shoulder to his knee very quickly, he was killed instantly with his hands unclenched and his body was lacerated. This pocket watch was found in his bellyband and then brought to his home as a precious memento of him. It has been preserved to this day with considerable care by his daughter Saeko.
資料性質 被爆資料

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