識別コード | 3502-0043 |
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資料名 | ストップウォッチ |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 岡田 博子(オカダ ヒロコ) |
寄贈者(英語) | OKADA Hiroko |
受入年月日 | 2013/8/2 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 50×70×10 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の父、佐伯力(つとむ)さん(当時33歳)は、爆心地から790mの中国軍管区司令部で被爆した。臨月の妻・多鶴子さん(当時28歳)に代わり、8月7日から多鶴子さんの父・光太郎さん(当時58歳)と母・シマさん(当時57歳)が必死で捜したが、遺体すら見つからなかった。捜索から戻ったシマさんは、「体内の臓物が出る」ような嘔吐が続いた。数日後、力さんの同僚から、当日力さんがかぶっていた帽子が送られてきた。力さんは、その同僚の前で、即死だったという。そして、知らせをくれた同僚も1カ月後に亡くなった。力さんは、生まれてくる子に会うのを楽しみにしており、8月6日は公休日だったのを、産後に子どもに会えるようにと、別の日に振り替えて被爆した。力さんが誕生を心待ちにしていた娘、博子さんは、力さんの死の4日後に生まれた。残された多鶴子さんは、戦後、6歳と4歳の息子、そして生まれたばかりの博子さんを必死で育てたが、原爆のことはほとんど語らなかった。このストップウォッチは、疎開先の自宅に残されていたもので、力さんが召集前に青年学校の教頭をしていた頃に使っていたもの。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |