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被爆資料

識別コード 3502-0040
資料名 時計
資料名(英語) Watch
寄贈者(カナ) 中村 純恵(ナカムラ スミエ)
寄贈者(英語) Sumie Nakamura
受入年月日 2006/04/14
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 33×27×5
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 中村敏子さんは、夫の正文さんと長男の重七さんとともに府中町の自宅で被爆。爆風で自宅の窓ガラスが吹き飛んだが、3人は庭にいたため無事だった。その日、たまたま勤務先の広島県商工経済会を休んでいたため難を逃れた正文さんは、同僚が心配でその日のうちに一家3人で入市した。爆心地から約260メートルにあった広島県商工経済会は、地階の一部を除いて焼き尽くされた。この時計は、その際に敏子さんが身につけていたもの。
ブロック別
展示説明文 中村敏子さんは、夫の正文さんと長男の重七さんとともに爆心地から約5キロメートル離れた府中町の自宅で被爆。爆風で自宅の窓ガラスが吹き飛びましたが、3人は無事でした。その日、たまたま仕事を休んでいたため難を逃れた正文さんは、同僚を心配し、その日のうちに一家3人で入市しました。爆心地から約260メートルにあった勤務先は、焼き尽くされていました。この時計は、入市したときに敏子さんが身に付けていたものです。
展示説明文(英語) Toshiko Nakamura was exposed to the bombing with her husband Masafumi and her first son Johichi at their home in Fuchu-cho, approximately 5 kilometers away from the hypocenter. The glass in their windows was blown away by the blast, but they were unharmed. Masafumi happened to have the day off from his work, which spared him from the bombing. Worried about his colleagues, he and his family entered the city within the day. His workplace, approximately 260 meters from the hypocenter, was completely burned out. Toshiko wore this watch when she entered the city.
資料性質 被爆関連資料

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