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被爆資料

識別コード 3501-0042
資料名 腕時計
資料名(英語) Wristwatch
寄贈者(カナ) 名川 淳史(ナガワ アツフミ)
寄贈者(英語) Atsufumi Nagawa
受入年月日 2005/11/08
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 30φ×7
被爆地(旧町名) 幟町
被爆地(現町名) 幟町
爆心地からの距離(m) 1200
数量 1
内容 名川敏子(ながわとしこ)さん(当時22歳)は、自宅で被爆、倒壊した建物の下敷きとなった。妹の節子(せつこ)さんは、隣のカトリック教会から友人に電話をかけている最中に被爆、電話室にいたため、閃光も浴びず、また教会自体がコンクリート造りだったため倒壊を免れ、助かった。すぐに家に戻ったが、自宅は全壊してぺしゃんこ、「ねえちゃま、ねえちゃま」と呼びかけたが、返事もなく、火の手がせまってきたため、やむなく避難した。広島駅で被爆した父親の義人(よしと)さんが、夕方家にたどり着くと、何もかもが焼けその中で敏子さんの白骨を発見した。この時計は8月10日、遺骨を持ち帰る際に腕の下から発見したもの。一時を指して止っている。
ブロック別 銀山・幟地区
展示説明文 名川淳史さんの姉、敏子さんは、幟町の自宅に一人でいる時被爆。隣の幟町教会へ電話をかけに行って無事だった妹、節子さんや、出勤途中広島駅で被爆した父、義人さんが相次いで戻り、敏子さんを助けようとしましたが、倒壊した家屋に火の手が迫り、近寄ることができませんでした。日が暮れて焼け跡を訪れた義人さんは、敏子さんの白骨を発見。腕の下から見つかったこの時計は、1時を指して止まっています。

寄贈者のコメントより
「身体に火が着いて焼け出したのが1時ごろと推定される。実に感慨無量であった。」自らの体験記にそう書いていた父も、昭和29年に原爆症で亡くなりました。この時計は私が受け継いでいましたが、子ども達には身近でないため、資料館で大切に保存してもらいたいと考えました。
展示説明文(英語) Atsufumi Nagawa's older sister Toshiko was exposed alone at home in Nobori-cho. Her younger sister Setsuko was exposed but at Noboricho Church, where she had gone to make a phone call. Their father, Yoshito, was exposed on the way to work at Hiroshima Station. Both were unharmed, returned to the house, and tried to rescue Toshiko. Flames encroached on the collapsed house and prevented them from approaching. When Yoshito came back to the ruins at the end of the day, he found Toshiko's skelton. This watch found under her arm was stopped at 1:00.

(from the donor's comments)
"That meant it must have been around 1:00 when the fires got to her body. I was profoundly shaken." My father Yoshito, who wrote these words in his account, died of A-bomb related ailments in 1954.I inherited this watch, but since my children have little relationship with this story, I want the museum to preserve it.
資料性質 被爆資料

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