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被爆資料

識別コード 3499-0006
資料名 弁当包み
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 昆野 安枝(ヒノ ヤスエ)
寄贈者(英語) Yasue Hino
受入年月日 2009/08/10
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 410×410
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中島新町
被爆地(現町名) 中島町
爆心地からの距離(m) 600
数量 1
内容 県立広島第二中学校1年4学級の昆野直文(ひの なおふみ)さん(当時13歳)は、学徒動員先である建物疎開作業現場(爆心地から600m 中島新町)で被爆した。実家の倉橋島村では、宇品港から夕刻についた定期船を通じて広島の急変を知った父・直人さんと姉・勝美さんらが7日未明に漁船で広島に向かい、直文さんを捜したが、結局遺骨も見つからなかった。作業現場近くの川土手に生徒たちのカバンが並べてあり、その中から、母・マス子さんが直文さんのために着物の帯をほどいて手ぬぐいと縫い合わせて作ったカバンを見つけた。その中には、食べられることのなかった弁当箱がこの名前入りの弁当包みに包まれ、そのまま残っていた。
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
展示説明文 寄贈者の叔父・昆野直文さん(ひの なおふみ 当時13歳)は、県立広島第二中学校1年生で動員学徒として建物疎開作業中に被爆。倉橋島(現在の呉市)の実家では、直文さんの父・直人(なおと)さんらが広島の急変を知り、翌7日未明に漁船で広島へ向かい、必死に捜索しましたが、結局遺骨さえ見つけることができませんでした。作業現場近くの川土手には、生徒たちのカバンが並べてあり、その中に直文さんのカバンがありました。それは、母・マス子さんが着物の帯をほどいて手ぬぐいと縫い合わせて作ったもので、その中には、直文さんが食べることのできなかった弁当がそのまま残っていました。
展示説明文(英語) Naofumi Hino, the donor's uncle (then, 13), a first-year student of Second Hiroshima Prefectural Junior High School, was exposed to the bomb while helping building demolition work as a mobilized student. Naofumi's father Naoto, who learned about the emergency in Hiroshima at their home on Kurahashi Island (now, Kure City), went to Hiroshima by boat before dawn on the 7th and desperately searched for Naofumi, but couldn't find even his remains. However, they found Naofumi's bag among other students' bags lined along the river bank near Naofumi's worksite. His lunch was still in the lunch box in the bag that his mother Masuko made by sewing a towel and fabric from her obi sash.
資料性質 被爆資料

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