識別コード | 3405-0008 |
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資料名 | 奉公袋 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 小田 容子(オダ ヨウコ) |
寄贈者(英語) | |
受入年月日 | 1996/05/20 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 210×300 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 小町 |
被爆地(現町名) | 中町 |
爆心地からの距離(m) | 500 |
数量 | 1 |
内容 | 広島市役所税務課に勤務していた辻岡義雄さん(当時38歳)は、出勤途中に白神社前付近の電車内で被爆した。妻正子さん(当時33歳)や長女の悦子さん(当時11歳)ら家族は、半壊した自宅で火の海の市街地を眺めながら、朝元気な姿で出勤していった義雄さんを「きっと帰ってくる」と信じて待っていた。8日に義雄さんが知人宅にいることが判明、翌日正子さんが迎えに行くと、右半身に火傷、頭部に打撲を負っていたが、被爆後比治山や船越の救護所に身を寄せたことを語り、九死に一生を得たと話していた。しかし懸命な看護の甲斐もなく、8月10日朝、妻と娘に看取られながら息を引き取った。これは当日義雄さんが身につけていたもの。 |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
展示説明文 | ①父親の辻岡義雄さんは通勤途中に被爆し、同僚に助けられたが3日後に死亡した。その時、持っていた品々である。 ②辻岡義雄さん(当時38歳)は、出勤途中の電車内で被爆しました。妻の正子さん(当時33歳)や長女の悦子さん(当時11歳)らは、半壊した自宅で火の海の市街地を眺めながら、義雄さんはきっと帰ってくると信じて待っていました。9日、義雄さんが知人宅にいることを知った正子さんが迎えに行くと、右半身に火傷、頭部には打撲を負った義男さんは、九死に一生を得たと話していました。しかし、翌10日、正子さんらの懸命な看護の甲斐もなく、息を引き取りました。 |
展示説明文(英語) | ①Her father, Yoshio Tsujioka, was exposed to the A-bomb on his way to work. He received help from a co-worker, but died three days later. |
資料性質 | 被爆資料 |