識別コード | 3401-0041 |
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資料名 | 布製かばん |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 岡村 千寿子(オカムラ チズコ) |
寄贈者(英語) | OKAMURA Chizuko |
受入年月日 | 2018/2/7 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 315×245×130 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 永井廣邦さんのもの。 1945年(昭和20年)3月、松江農林学校を卒業した廣邦さんは、島根県飯石郡来島村国民学校の教師となったが、まもなく召集を受け入隊した。8月16日夕方、救援のため広島市へ派遣された廣邦さんは、翌17日まで市内で救援・救護活動に従事した。当時の状況を、廣邦さんは以下のように書き残している。 「入市の時目にしたのは、広島駅前に破損した電車、列車が数多く停まり、その車両が被爆した人達の臨時の病院となって、多くの人達が手当てを受けている姿だった。手当てを受けていた人達はその後間もなく亡くなったり、他の治療場所に分散されたらしい。比治山にできた病院で治療を受けていた多くの人達も、全治することなく亡くなられたと聞き、なんとも悲しいことであった。 …見渡す限り破壊と消滅してしまった光景の中で、おそらく家庭の井戸水を汲み上げるポンプであっただろうと思われる鉄の小さな丸筒だけが立って並んでいた。 原爆の恐ろしさは、地上のあらゆる物を一瞬にして破壊、消滅させてしまうことである。このような無残で悲しい出来事を、六十六年経る今日も記憶から消える事はない。」 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 戦中資料 |