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被爆資料

識別コード 3205-0009
資料名 自宅に残されていた防毒マスク
資料名(英語) Gas mask left from home
寄贈者(カナ) 丸田 道子(マルタ ミチコ)
寄贈者(英語) Michiko Maruta
受入年月日 2007/12/18
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 120φ×190
被爆地(旧町名) 皆実町三丁目
被爆地(現町名) 皆実町五丁目
爆心地からの距離(m) 3000
数量 1
内容 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校2年3組の丸田黎子(まるたれいこ)さん(当時13歳)の遺品。自宅にあったもの。黎子さんは学徒動員先である雑魚場町(現在の国泰寺町・爆心地から1200m)の建物疎開作業現場で被爆、重傷を負い、広島県安芸郡坂町鯛尾に運ばれた。8日、黎子さんがそこにいることを知った父利夫さん、母花代さん、兄哲彦さんが鯛尾に駆けつけたが、9日の朝亡くなった。花代さんが、持参したみかんの缶詰を食べさせたとき、黎子さんが「おいしいね・・・」とつぶやいたのが、最期の言葉となった。
ブロック別 皆実・宇品地区
展示説明文 寄贈者の義妹・広島女子高等師範学校附属山中高等女学校2年生の丸田黎子さん(当時13歳)は、爆心地から約1,200メートルの雑魚場町(現在の国泰寺町)で建物疎開作業中に被爆。重傷を負い、安芸郡坂町鯛尾に運ばれました。8日、父親の利夫さん、母親の花代さんと兄の哲彦さんが駆けつけましたが、家族が持って来たみかんの缶詰を食べて「おいしいね…」とつぶやいたのが最期の言葉となり、9日の朝、黎子さんは亡くなりました。利夫さんらは、黎子さんを火葬しながらも、生き返るのではないかとずっと遺体を見つめていました。
展示説明文(英語) Reiko Maruta (then, 13), the donor's sister-in-law, was a second-year student at Yamanaka Girls High School attached to Hiroshima Women's Higher School of Education. She was about 1,200 meters from the hypocenter, performing building demolition work in Zakoba-cho (now, Kokutaiji-machi) when the A-bomb detonated. She was seriously injured and taken to Taibi, Saka-cho, in Aki-gun. On August 8, her father Toshio, mother Hanayo and older brother Tetsuhiko rushed to her side. As she ate the canned mandarin oranges her family had brought her, she murmured, “Delicious” but these would be her last words. She passed away on the morning of August 9. The family stared intensely at her lifeless body even as she was being cremated, hoping that she would somehow return to life.
資料性質 被爆資料

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