menu

トップページ被爆資料弟の遺品の水着

被爆資料

識別コード 3199-0023
資料名 弟の遺品の水着
資料名(英語) Younger brother's swimsuit
寄贈者(カナ) 横山 滋(ヨコヤマ シゲル)
寄贈者(英語) YOKOYAMA Shigeru
受入年月日 2012/11/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 910×710
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 広島高等学校1年生の横山靖さん(当時16歳)は、爆心地から約880mの三川町の自宅で被爆。学徒動員で、安芸郡海田町の日本製鋼所広島工場へ動員されていた靖さんは、8月5日、工場が休みとなったため三川町の自宅へ自転車で帰ってきていたのだった。被爆により自宅は一瞬にして倒壊し、工場へ帰るため屋外にいた靖さんは大やけどを負い、閃光に目をやられてしまった。横山家では万一の時には牛田町早稲田区に借りていた家に避難することに決めており、自宅にいた家族はみな必死で逃れた。靖さんは、医院の看護婦さんらに助けられ、比治山付近までのがれたが、一瞬一人になった間に救援トラックに乗せられたのか、そのまま行方が分からなくなってしまった。家族が必死に捜したが、どうしても行方は分からなかった。原爆投下時、牛田の家にいて無事だった母のユキさん(当時52歳)は、戦後、自宅の扉が開く度に、「靖が帰ってきた!」とずっと我が子の帰りを待ち続けていた。
これはユキさんが形見として大切にしていたもの。
ブロック別 紙屋町・本通地区
展示説明文 弟の遺品の水着
広島高等学校1年生の横山靖さん(当時16歳)は、自宅屋外で被爆。7月25日から安芸郡海田町の日本製鋼所広島工場へ学徒動員されていた靖さんは、8月5日、工場が休みになったため自宅へ帰っていたのでした。6日朝、工場へ向かうため自宅屋外にいた靖さんは、閃光に目をやられ、大やけどを負いました。自宅医院の看護婦さんらに助けられながら比治山付近まで逃れましたが、ちょっとの間一人になった時、救援トラックに乗せられたのか、そのまま行方が分からなくなってしまいました。家族が必死に捜しましたが行方は分からず、母親のユキさん(当時52歳)は、戦後、自宅の扉が開く度に、「靖が帰ってきた!!」といつまでもいつまでも我が子の帰りを待ち続けていました。

横山さんのお話から
どこで息を引き取ったかさえ分かりません。もちろん、お骨も母の許には帰りませんでした。夫・娘・息子2人と、同時に4人を原爆に奪われ、無念の想いを胸に32年間待ち続け、表で人の声がすると、「靖!! 帰ったの」と飛び出していた母も昭和52年、85歳で逝きました。
展示説明文(英語) Younger brother's swimsuit
Yasushi Yokoyama (then, 16) was a first-year student at Hiroshima Higher School, who experienced the bombing near his home. From July 25, Yasushi had been directed to work at Japan Steel Works in Kaita Town, Aki County. Given a break on August 5, he returned home. On the morning of August 6, he was on his way to the factory when the flash blinded him and he received serious burns. Although he managed to flee to somewhere near Hijiyama with the help of nurses from residential clinics, he was briefly left alone and in that time might have been picked up by an aid truck, but it is not sure what happened to him. His family frantically searched for him without success, and even after the war, his mother, Yuki (then, 52), continued to hold on to the hope that Yasushi had returned every time the front door opened.

Shigeru Yokoyama recalls:
We don't know where he died. Of course, his bones weren't returned while she was alive. Together, the A-bomb took away her husband, daughter, and two sons. For 32 years, my mother's heart was full of regret and she would exclaim that Yasushi was back whenever she heard a voice on the street. She died in 1977 at the age of 85.
資料性質 被爆関連資料

戻る

Page Top