識別コード | 3109-0005 |
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資料名 | 動員学徒の腕章 |
資料名(英語) | Mobilized student's armband |
寄贈者(カナ) | 朝日 輝一(アサヒ テルイチ) |
寄贈者(英語) | Teruichi Asahi |
受入年月日 | 1968/09/14 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 225×190 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 中島新町 |
被爆地(現町名) | 中島町 |
爆心地からの距離(m) | 600 |
数量 | 1 |
内容 | 県立広島第二中学校1年生の朝日俊明さん(当時13歳)は、先生・生徒325人と共に中島新町の建物疎開作業現場で被爆した。ほとんど全滅の中から、重傷の朝日さんは、川に入って一時を過ごした後、火の中をくぐり、川の岸辺を遡って逃れ、約4時間後長束付近で知人に発見された。その後父親に自転車で祇園に運ばれ、応急手当の後、馬車で夕刻可部町の自宅に連れて帰られた。重傷の身ながらも被災状況を語り、学友のこと、休学手続きのことまで話し、耐えがたい喉の渇きにも耐えて、殆ど水を口にすることはなかった。出来る限りの手当てをしたが、9日朝、「お世話になりました」と言い残して、母親の膝の上で死亡した。 |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
展示説明文 | 県立広島第二中学校1年生の朝日俊明さん(当時13歳)は、建物疎開作業現場で被爆。重傷を負いながらも火の中をくぐり、川岸をさかのぼり、郊外まで逃れたところで、知人に発見されました。自宅に連れ帰られた朝日さんは、重傷の身で被災状況を語り、学友や休学手続きを心配していました。9日朝、「お世話になりました」と言い残し、母親のひざの上で亡くなりました。 |
展示説明文(英語) | Toshiaki Asahi (then,13), a first-year student at Second Hiroshima Prectural Junior High School, was exposed at his building demolition worksite. Grievously burned, he managed to pick his way through the flames, climb up the riverbank, and escape to the outskirts of town. There he was found by an acquaintance. After being carried home, Toshiaki, despite his injuries, was able to tell experience of the bombing. He worried about his classmates and about failing to follow the procedures for missing school. In the morning of the 9th, he said, "Thank you for all you've done,"and died in his mother's lap. |
資料性質 | 被爆資料 |