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被爆資料

識別コード 3109-0004
資料名 たすき
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 西丸 壽壽子(ニシマル スズコ)
寄贈者(英語) Suzuko Nishimaru
受入年月日 1972/11/20
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 640×65
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 比治山高等女学校3年生の西丸公子さん(当時15歳)は、学徒動員で陸軍中国軍管区司令部に出動していた。整列しているときに被爆し、全身に大火傷を負った。自力で自宅にたどり着き、両親と再会した。公子さんの顔は火傷で腫れ上がり、「お母さん」と呼ぶ声で本人とわかった。物資不足の中、父親に買ってもらった靴を、逃げる途中でなくしたことを気にして泣いていた。自宅にも火災が迫り、両親は公子さんを連れて山へと逃げた。母親の寿々子さんは山の中につった蚊帳の中で、我が子を懸命に看病し、父親は市内中を医師を探して走り回った。しかし両親の懸命な看護もむなしく、8月10日に死亡した。これは三次町から見舞いに来た知人が着用していたもの。
ブロック別
展示説明文 寄贈/西丸壽壽子
比治山高等女学校3年生の西丸公子さん(当時15歳)は、動員で通信業務についていた時に被爆。全身に大やけどを負いながら、必死に自宅にたどりつきました。顔ははれあがり、「お母さん」と呼ぶ声でようやく本人と分かるほどでした。父親に買ってもらった靴を逃げる途中に無くしたことを気にして泣いていました。父親は医師を捜して走りまわり、母親の壽壽子さんが必死に看病しましたが、8月10日、亡くなりました。
展示説明文(英語) Donated by Suzuko Nishimaru
Kimiko Nishimaru (then, 15), a third-year student at Hijiyama Girls’ High School, was exposed while working as a mobilized student in the communications office. She was badly burned over much of her body, yet managed to return home. Her face was so swollen that her family recognized her only by the voice calling “Mother.” She cried because she had lost the shoes her father had bought her while escaping the fires. Her father went out to find a doctor and her mother, Suzuko, attended her desperately, but she died on August 10.
資料性質 被爆関連資料

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