内容 |
県立広島第一中学校1年生の南口修さん(当時12歳)は建物疎開作業現場へ学徒動員され、待機していた学校か、作業現場で被爆した。県立広島第一中学校3年生で東洋工業に学徒動員されていた次兄の勝さんは6日午前11時ころに徒歩で宇品町の自宅に帰りついた。市中心部に動員されていた修さんを心配して御幸橋近くまで行ったものの、激しい火災でどうしても橋の向こう側に行くことができなかった。午後2時~3時頃になって、見知らぬ男性の自転車の荷台に乗せられて、修さんが自宅に帰りついた。全身に大やけどを負い、皮膚が垂れ下がり、体中火ぶくれとなって、顔を見ただけでは、修さんと分からないような姿であった。着ていた服は焼け、パンツ一枚の姿で、ベルトだけをしっかり握り締めていた。水を与えてはいけないといわれていた母静子さんは、修さんを布団へ寝かせガーゼに水をしめらせて修さんの口を濡らすしかなかった。静子さんと勝さんに看取られ、修さんは6日夕方に息を引き取った。長兄の隆さんは、6日午後8時~9時頃、呉から徒歩で自宅に戻ったが、修さんはすでに息を引き取っていた。7日、隆さんと勝さんが自宅近くの空き地で、修さんの遺体を茶毘に付した。これは修さんが当日身につけていて、握り締めて持ち帰ったもの。 |