識別コード | 3506-0099 |
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資料名 | 襟章 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 山下 房子(ヤマシタ フサコ) |
寄贈者(英語) | YAMASHITA Fusako |
受入年月日 | 2022/01/06 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 50×20×5 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 中国軍管区輜重兵補充隊に所属していた部谷一眞さん(当時22歳)は、広島市中心部を離れ、幹部候補生を訓練していた馬木(現在の広島市東区)の演習場に派遣されていた。 「ピカ!! ドドドド、ドーン!!」天井から目も開けられない塵のあらしで、やられた!と咄嗟に鉄かぶとを被り外に飛び出したが、幸い兵舎は無事だった。しかし市内の方へ目をやると、上空は見たこともない巨大な雲に覆われていくのが見えた。 やがて原隊のある市内基町は近づくのも困難なほどの惨状と知った一眞さんらは、ありったけの医薬品を持って救援に向かった。何処をどう通ったのか、地獄のような街を抜けてやっとたどり着いた原隊で、必死に救護活動を始めた。しかし、多くの人が息を引きとり、馬木へ向かうことが出来た人はそう多くはなかったように思う、と後に一眞さんは書き残している。 戦後、一眞さんは99歳で亡くなるまで、家族に原爆の話をすることはほとんどなかった。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |