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被爆資料

識別コード 3108-0024
資料名 中学生のベルト
資料名(英語) Junior high student's belt
寄贈者(カナ) 中村 マサコ(ナカムラ マサコ)
寄贈者(英語) Masako Nakamura
受入年月日 1975/07/10
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 890×27×20
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 小網町
被爆地(現町名) 小網町
爆心地からの距離(m) 900
数量 1
内容 市立中学校2年生の中村孝夫さん(当時14歳)の遺品。孝夫さんは、学徒動員先の建物疎開作業現場で被爆した。母親のマサコさんと伯母、祖父の3人で行方を捜したが、ようやく捜しあてた孝夫さんは、7日午前2時頃新庄町の竹やぶの中で既に亡くなっていた。マサコさんは、たくさんある遺体の中から硫黄島で戦死した父親のお下がりで作った作業衣にあてていた継ぎと、同じく父の形見であるこの革ベルトを目印に孝夫さんを発見した。火葬にされる直前の遺体は大火傷を負い、変わり果てていた。マサコさんは遺体を自宅へ連れ帰り、荼毘に付した。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 市立中学校2年生の中村孝夫さん(当時14歳)は、学徒動員先である小網町の建物疎開作業現場で被爆しました。母親のマサコさんは、帰らぬ孝夫さんを心配して7日の明け方から必死で行方を捜しました。しかし、孝夫さんがすでに避難先で亡くなったと知らされ、火葬直前のたくさんの遺体の中から、変わり果てた姿の孝夫さんを見つけ出しました。その時目印となったのは、硫黄島で戦死した父親のお下がりで作った作業衣と、父親の形見のこの革ベルトでした。
展示説明文(英語) Takao Nakamura (then,14), a second-year student at Municipal Junior High School, was exposed at Koami-cho, where his student mobilization group was assisting building demolition. When he did not come home, his mother, Masako, set out on a desperate search for Takao at dawn on the 7th. Learning that he had already died at his refuge site, she went there and searched through the corpses lined up for cremation until she found her son's transformed body. She recognized Takao by his work clothes, which had been made from a uniform belonging to his father, who had died during the battle of Iwojima. She also recognized this leather belt, Takao's keepsake of his father.
資料性質 被爆資料

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