識別コード | 3107-0049 |
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資料名 | ゲートル |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 梅田 尚司(ウメダ ヒサシ) |
寄贈者(英語) | UMEDA Hisashi |
受入年月日 | 2016/6/29 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 50φ×100 |
被爆地(旧町名) | 比治山本町 |
被爆地(現町名) | 比治山本町 |
爆心地からの距離(m) | 1,800 |
数量 | 2 |
内容 | 県立広島商業学校2年生の梅田尚司さん(当時13歳)は、友人たちと登校途中に鶴見橋東詰で被爆。とっさに持っていた防空頭巾を顔に当ててうずくまったが、右側から閃光を浴び、顔や腕など右半身にやけどを負った。熱さや痛みを感じる余裕すらなく、爆風で吹き飛ばされ建物の下敷きになったところをどうにか助け出された。友人たちも皆やけどを負って、真っ黒な顔になっていた。顔を洗おうと、そばの川に下りると川には多くの遺体が流されていた。顔を洗うと、やけどした顔の皮がずるっと剥けた。皆で学校へ向かおうとしたがあたりは火の海でどうにもならず、広島駅近くの鉄道病院を目指すことにした。道中は「水をくれ」「助けてくれ」とたくさんのうめき声が溢れていた。大洲まで戻ったところで、大八車を引いた知人に出会い、助けられながら船越町の自宅に帰った。爆心地から約7キロ離れた自宅でも、爆風で天井は浮き上がり、畳はひっくり返り、ガラス戸は落ち大変なことになっていた。一週間ほど経ったころ、尚司さんは父の操さんと共に従姉を捜すため広島市内へ向かった。市内中心部の紙屋町は、亡くなった人が折り重なって山の様になっていた。従姉は勤務先の憲兵隊の焼け跡の事務室で、うつぶせで亡くなっていた。 これは尚司さんが被爆時に身に着けていたゲートル。 |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |