識別コード | 3107-0047 |
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資料名 | ゲートル |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 砂川 三郎(スナカワ サブロウ) |
寄贈者(英語) | SUNAKAWA Saburo |
受入年月日 | 2016/6/2 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 2300×80 |
寸法(その他) | 紐長さ:1670 |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 2 |
内容 | 暁第一六七一〇部隊の砂川三郎さん(当時22歳)は、比治山下の兵舎で被爆した。二階にあった部屋に戻るため階段を上りきった瞬間、目のくらむような閃光が走り、熱風が押しよせ、大爆発音がした。 床に伏せたと同時に、兵舎が崩れる音がし、気を失った。下敷きになった人の救助作業の音で気がついたが、助けを求めるにも息が苦しく言葉にならず、体が動かなかった。着衣の表面が露出していたため、救援され顔と体をなでると、無数のガラス破片が突き刺さり、ほこりと血でヌルヌルしていた。腰はズキンズキンと痛んだ。再び空襲のおそれがあるとのことで、比治山の防空壕に避難し、重症の親友を仮設の病院に送りとどけて一息ついた頃、負傷者達がぞくぞくと集まってきた。治療法もわからず、アカチンとスピンドル油(機械に使う油)を手、足、顔へ塗って、包帯をするだけで精一杯だった。 目の前で乳呑み児を抱えた若い母親がへたへたと座り込み、ハンカチに水をひたしてやると一口二口美味そうにのみ、我が子をしっかり抱きしめ、息絶えた。日も沈みかけた頃、市内への救援と橋梁警備の任務につくため、比治山を下りた。丸焦げの残骸で停止していた電車の乗客はすべて死体で、まるで「棺桶」だった。勤務を終えると、腰が痛く、だるくて寝付いてしまった。すごい熱で七日七晩うなされた。戦友は血を吐いて、寝ずの介抱の甲斐もなく亡くなった。 その後終戦を迎え、砂川さんは、地元の群馬に戻ったが、また体調を崩し、半年ほど療養することになった。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 戦中資料 |