menu

トップページ被爆資料ゲートルの一部

被爆資料

識別コード 3107-0016
資料名 ゲートルの一部
資料名(英語) Part of a Gaiter
寄贈者(カナ) 三上 五月(ミカミ サツキ)
寄贈者(英語) Satsuki Mikami
受入年月日 1966/08/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 765×100
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中広町
被爆地(現町名) 中広町
爆心地からの距離(m) 1400
数量 1
内容 市立中学校1年生の三上直樹さんは、朝礼のため集まっていた校庭で被爆した。重傷を負いながらも自宅まで帰り着き、母親に状況を語って4時間後に死亡した。このゲートルは直樹さんが最後まで身に着けていたもので、切れ端のみわずかに残った。

母・三上五月さんの手記から
お昼前だったと思います。「お母ちゃん」と、ありたけの力を振り絞ったような声で、直樹が帰ってきました。パンツ1枚の体になり、肩から背から血が流れています。髪の毛はみんな焼け、顔の皮膚はすっかり焼けただれて鼻の先に真っ黒な固まりになっています。手の皮はずるりと焼けむけて爪のところで止まって、五寸くらいも垂れ下がり、二度とは見られぬ姿に変わり果てていました。高須の救護所へ連れて行き、手当てを受けましたが、既に死は目前に迫っていました。「何か食べたい」という直樹に、大きなトマトを食べさせたとき、口からどくどくと出てきたトマトより紅いあの血の色は、今でも私の目の奥に焼き付いています。苦しい息遣いの中で、早く家に帰りたいという言葉を繰り返し、だんだん吐くばかりの息の下で、「お母ちゃん、泣いてはいけん、これだけ大きな戦争で、学徒の僕たちが生きておられることのないのは覚悟しとったよ…。お母ちゃんは人のためになる事を…」と言い切らぬうちに息を引きとりました。大八車に乗せて自宅へ連れ帰り、ガラスだらけの上に床を作って寝かせました。空襲を恐れて、線香もないお通夜をすませましたものの、次の朝は、寂しさというか、たとえようもないあの気持ちは、今も忘れることができません。8日の昼前まで一緒に寝ました。裏山で遺体を荼毘に付し、翌朝お骨を丁寧に拾いました。この時も涙すら出ませんでした。しかし、お骨箱を胸に抱いて持ち帰り、白布に包んで茶だんすの上に乗せたとき、どっと涙があふれてまいりました。体中の水分がみんな涙に変わったのかと思うほど、私はいつまでも泣き続けました。
      
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

戻る

Page Top