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被爆資料

識別コード 3105-0018
資料名 子ども用着物
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 鈴木 富美子(スズキ フミコ)
寄贈者(英語) SUZUKI Fumiko
受入年月日 2014/8/27
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 890×780
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 己斐町
被爆地(現町名) 己斐上四丁目
爆心地からの距離(m) 3200m
数量 1
内容 寄贈者の鈴木富美子さん(当時1歳3か月)は、母・輝子(てるこ)さん(当時40歳)、父・右一(ういち)さん(当時35歳)、祖母・フサさん(当時74歳)とともに、市内中心部の自宅から約3㎞離れた茶臼山の頂上にあった知人宅へ毎晩、夜だけ疎開していました。1945(昭和20)年8月5日、その夜は、連日の徒歩での移動に疲れていたのか、祖母のフサさんだけが、どうしても行かないと言い、自宅に残りました。6日の朝、三人が自宅へ帰ろうと支度をしていると、突然ピカーと光り、少しして大きな地響きがしました。外に出て市内を見下ろすと、あちこちから火の手が上がり、見る見るうちに市内全域が火の海となりました。三人にけがはありませんでしたが、いくら待っても、フサさんが避難して来ることはありませんでした。8月9日、親子三人で河原町の自宅へ行くと、家は全焼し、フサさんの姿はどこにもありませんでした。14日にスコップを借りて、自宅焼け跡を掘り起こすと、台所の下、深さ1メートルぐらいの所で、半焼死体となったフサさんを発見しました。市内で被爆した輝子さんの姉・三千代(みちよ)さんも、輝子さんの必死の看病もむなしく、髪が抜け、高熱を発し、紫斑が出て9月初旬に息を引き取りました。この着物は疎開していた家で被爆したもので、屋根が飛んだために黒い雨が降りこみ、しみが残りました。母と姉を失い、戦後苦労しながら富美子さんを育て上げた輝子さんは、この着物だけは手放さず、大切に保存していました。
ブロック別 己斐・草津地区
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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