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トップページ被爆資料肌着(上) 

被爆資料

識別コード 3104-0034
資料名 肌着(上) 
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 渡邉 久美子(ワタナベ クミコ)
寄贈者(英語) WATANABE Kumiko
受入年月日 2013/12/27
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 700×520
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 猿猴橋町
被爆地(現町名) 猿猴橋町
爆心地からの距離(m) 2000
数量 1
内容 広島市立中学校3年生の毛利普相さん(当時14歳)は、学徒動員先に行くため、広島駅前・猿猴橋そばで学友とともに、迎えのトラックを待っていた。飛行機の旋回音を耳にした普相さんが、東の空を見上げたとたん、被爆。空から火の雨が降ってきたように感じ、とっさに目と耳を押さえて伏せた。
耳から聞こえているとは思えないほどの大きな音がしたかと思うと、ものすごい爆風が襲い掛かり、近くの家が崩れ始め、瓦や大きな何かが背中に次々とぶつかってきた。しばらくたって目を開けると、辺りは真っ暗になっており、作業服の背中は熱線で焦げ、左頬と左手は、やけどの水ぶくれで膨れ上がっていた。周りは血だらけ、生皮がぶら下がり、赤身になった人たちがただ茫然と逃げていた。普相さんは途中で迎えに来たトラックに拾われ、動員先である矢野の需品廠に収容された。医務室で顔の水ぶくれをハサミで切り取られ、その上にホウ酸軟膏という白い薬を塗り、ガーゼで覆ってもらった。動けないほどの重傷で、看護婦さんが背負ってトイレに連れて行ってくれた。左顔面と手はウミだらけで痛くてたまらなかった。13日間収容されていたが、兵隊たちから、「そろそろアメリカの兵隊たちが上陸してくるかもしれないから、家に帰ったほうがいい」と言われ、8月19日、顔面に包帯を巻きつけ、目だけを出した姿で自宅に帰った。傷口にはウジがわき、地元の医師には「助からないかもしれない」と言われたが、母・かすみさんは、必死で看病した。やけどはウミ続け、4カ月たってやっと復学するまでに回復した。このシャツは、治療のために切って脱がされ、その後かすみさんが縫い合わせたもの。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文 肌着
寄贈/渡邉久美子[ワタナベ クミコ]
爆心地から2,000m 猿猴橋町[エンコウバシチョウ]
広島市立中学校3年生の毛利普相[モウリ フソウ]さん(当時14歳)は、郊外の学徒動員先に行くため、学友とともに、広島駅前で迎えのトラックを待っているときに、被爆しました。空から火の雨が降ってきたように感じ、とっさに伏せました。ものすごい爆風が襲い掛かり、近くの家が崩れ始め、瓦や大きな何かが背中に次々とぶつかってきました。しばらくたって目を開けると、辺りは真っ暗になっており、作業服の背中は熱線で焦げ、左頬と左手は、やけどの水ぶくれでふくれ上がっていました。周囲には血だらけで、生皮がぶら下がり、赤身になった人たちがただ茫然と逃げていました。普相さんは、動員先に収容されました。医務室で顔の水ぶくれをハサミで切り取られ、その上にホウ酸軟膏という白い薬を塗り、ガーゼで覆ってもらいました。左顔面と手はウミだらけで痛くてたまりませんでした。13日間収容されていましたが、収容先の兵隊たちから、「そろそろ家に帰ったほうがいい」と言われ、8月19日、顔面に包帯を巻きつけ、目だけを出した姿で自宅に帰りました。傷口にはウジがわき、地元の医師からは「助からないかもしれない」と言われましたが、母・かすみさんが、必死で看病してくれました。4カ月後、復学するまでに回復しました。このシャツは、治療のために切って脱がされ、その後かすみさんが縫い合わせたものです。
展示説明文(英語) Undershirt
Donated by Kumiko Watanabe
2,000m from the hypocenter Enkobashi-cho
Fuso Mori (then, 14) was a third-year student at Hiroshima Municipal Junior High School who was waiting with a schoolmate in front of Hiroshima Station for a truck that would take them to their mobilization assignment in the suburbs when they experienced the atomic bombing. It felt like fire rained from the sky, and Fuso immediately dropped down. He could feel the amazing force of the blast. The houses nearby started to collapse and roofing tiles and other large objects slammed against his back one after another. After a short time, he opened his eyes and everything around him had gone dark. The back of his work clothes was burned from the heat rays, and he had blistering burns on his left arm and left cheek. The area was covered in blood and people, their skin hanging off and raw flesh exposed, were running away dumbfounded. Fuso was treated at the site of his mobilization assignment. In the treatment room, his blisters on his face were cut open with scissors, a white ointment made of boric-acid was rubbed over the blisters, and they were covered in gauze. His left cheek and arm became infested with maggots and the pain was unbearable. He spent 13 days being treated at the refugee camp before the soldiers there told him that it was time for him to go home. So, on August 19 they wrapped his head in bandages, leaving a slit only for his eyes, and he went home. Maggots rose from the wounds and the local doctor said there was no way to help him, but his mother, Kasumi, desperately took care of him. Four months later, he had recovered to the point of being able to return to school. This undershirt was cut off of him so he could be examined and was repaired later by Kasumi.
資料性質 被爆資料

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