識別コード | 3104-0030 |
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資料名 | ズボンした |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 数村 澄江(カズムラ スミエ) |
寄贈者(英語) | Sumie Kazumura |
受入年月日 | 2005/06/01 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 400×750,400×700,300×700 |
被爆地(旧町名) | 基町 |
被爆地(現町名) | 西白島町 |
爆心地からの距離(m) | 1300 |
数量 | 3 |
内容 | 松田儀一郎(まつだぎいちろう)さん(当時48歳)は、所用で中国軍管区司令部経理部に向かう途中、広島陸軍幼年学校近くで被爆した。前から閃光を感じ、後を振り返ったとたん自転車がアメのようにグニャリと曲がり、背面に大火傷を負った。重傷ながらも八丁堀の自宅まで戻ったが、自宅は全焼、荷物を疎開させていた牛田早稲田の別宅に避難した。牛田早稲田の家で被爆した妻のキヨさん(当時45歳)と長女の和子(かずこ)さん(当時20歳)は、家族の身を案じて八丁堀の自宅へ向かい、儀一郎さんと行き違いになってしまった。儀一郎さんは一晩一人で過ごし、7日に、戻ってきたキヨさん、和子さんら家族の看病を受けたが、赤チンをつける程度の治療しか受けられず、8日の朝10時ごろ、息を引き取った。最後まで田舎に学童疎開していた末っ子の澄江さん(当時10歳)の心配をしていたという。学徒動員先で被爆した広島女子商業学校1年生だった次女の順子(じゅんこ)さん(当時13歳)も24日に、「お父さん待って」といって亡くなった。これは当日身につけていたもの。 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |