識別コード | 3104-0027 |
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資料名 | 肌襦袢 |
資料名(英語) | Kimono Undergarment |
寄贈者(カナ) | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) |
寄贈者(英語) | YAMAMOTO Tadayo |
受入年月日 | 2002/03/04 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 550×680 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 母親の橘髙イセノさんの遺品。6日の朝、イセノさん(当時48歳)は土橋に針灸の治療に行き、そこで被爆した。足に怪我を負ったが自力で三滝町の自宅近くまで戻ったところを、夫の仁一さん(当時54歳)に発見された。自宅で被爆した仁一さん、忠代さん(当時24歳)、その娘の絋子さん(当時1歳)は、どうにか無事だったが、三篠国民学校5年生だった妹の幸子さん(当時11歳)が、学校で被爆し行方不明になっていた。忠代さんらは帰ってこない幸子さんを捜して市内を歩き回ったが、見つけることは出来なかった。イセノさんは比較的元気で、一生懸命幸子さんを捜したりしていたが、突然容態が悪化して血や肉の塊のようなものを吐くようになり8月22日に死亡した。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | 橘髙イセノさん(当時48歳)は、はり灸の治療に行っていた土橋付近で被爆しました。足を負傷しましたが、自力で三滝町の自宅近くまで戻ったところを、夫の仁一さん(当時54歳)に発見されました。橘髙さん宅では、三篠国民学校5年生だった娘の幸子さん(当時11歳)が学校で被爆し、行方不明になっていました。姉の忠代さんらは帰ってこない幸子さんを捜して市内を歩き回りましたが、結局見つけることは出来ませんでした。イセノさんは比較的元気で、一生懸命幸子さんを捜していましたが、突然容態が悪化し、血や肉の塊のようなものを吐いて、8月22日に亡くなりました。このイセノさんの肌襦袢は、配給の手ぬぐいを縫い合わせて作ったものでした。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |