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被爆資料

識別コード 3104-0023
資料名 シュミーズ
資料名(英語) Chemise
寄贈者(カナ) 原田 充子(ハラダ アツコ)
寄贈者(英語) Atsuko Harada
受入年月日 1998/12/08
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 595×870
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 比治山本町
被爆地(現町名) 比治山本町
爆心地からの距離(m) 1750
数量 1
内容 市立第一高等女学校3年生の原田武子さん(当時14歳)の遺品。爆心地から約1900mの広島駅で被爆した武子さんは、正面から閃光を受けて全身に大火傷を負い、動員先の日本製鋼の寮に運ばれた。駆けつけた母親の充子さんの看病を受け、快方に向かっていたが、9月17日に容態が急変、21日には当時国民学校5年生の弟を気遣ってか、「お母さんには坊やがいるでしょう。早く帰って。」と言い、自分は既に被爆死していた父親のところへ逝かせて、とせがんだ。武子さんは充子さんに看取られながら、9月23日午後7時頃に死亡した。これは、治療時に着せていたもので、油やうみのシミが残っている。
ブロック別 比治山・仁保地区
展示説明文 市立第一高等女学校3年生の原田武子さん(当時14歳)は、爆心地から約1,900mの広島駅で被爆し、全身に大火傷を負って動員先の広島製鋼の寮に運ばれました。駆けつけた母親の充子さんの看病を受け快方に向かっていましたが、9月17日に容態が急変、21日には当時国民学校5年生の弟を気遣ってか、「お母さんには坊やがいるでしょう。早く帰って。」と言い、自分はすでに被爆死していた父親のところへ逝かせてと、せがみました。武子さんは充子さんに看取られながら、9月23日午後7時頃に亡くなりました。これは治療時に着せていたもので、油やうみのシミが残っています。
展示説明文(英語) Takeko Harada (then 14), a third-year student at First Municipal Girls High School, was exposed to the A-bomb at Hiroshima Station, about 1,900m from the hypocenter. She was extensively burned and was carried to the dormitory of Hiroshima Steel Works where she and other students were mobilized to work. Her mother Atsuko ran to her side and nursed her. She appeared to be recovering, but on September 17, her condition suddenly changed. On the 21st, worrying about her younger brother who was then in the fifth grade of elementary school, she said, "Mother, you should be taking care of my little brother. Hurry home to him."
資料性質 被爆資料

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