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被爆資料

識別コード 3104-0004
資料名 下着
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 三上 五月(ミカミ サツキ)
寄贈者(英語) Satsuki Mikami
受入年月日 1966/08/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 500×360
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中広町
被爆地(現町名) 中広町
爆心地からの距離(m) 1400
数量 1
内容 市立中学校1年生の三上直樹さん(当時13歳)は、朝礼のため集まっていた校庭で被爆した。重傷を負いながらも己斐中町の自宅まで帰り着き、母親に状況を語って4時間後に死亡した。

母・三上五月さんの手記から
お昼前だったと思います。「お母ちゃん」と、ありたけの力を振り絞ったような声で、直樹が帰ってきました。パンツ1枚の体になり、肩から背から血が流れています。髪の毛はみんな焼け、顔の皮膚はすっかり焼けただれて鼻の先に真っ黒な固まりになっています。手の皮はずるりと焼けむけて爪のところで止まって、五寸くらいも垂れ下がり、二度とは見られぬ姿に変わり果てていました。高須の救護所へ連れて行き、手当てを受けましたが、既に死は目前に迫っていました。「何か食べたい」という直樹に、大きなトマトを食べさせたとき、口からどくどくと出てきたトマトより紅いあの血の色は、今でも私の目の奥に焼き付いています。苦しい息遣いの中で、早く家に帰りたいという言葉を繰り返し、だんだん吐くばかりの息の下で、「お母ちゃん、泣いてはいけん、これだけ大きな戦争で、学徒の僕たちが生きておられることのないのは覚悟しとったよ…。お母ちゃんは人のためになる事を…」と言い切らぬうちに息を引きとりました。大八車に乗せて自宅へ連れ帰り、ガラスだらけの上に床を作って寝かせました。空襲を恐れて、線香もないお通夜をすませましたものの、次の朝は、寂しさというか、たとえようもないあの気持ちは、今も忘れることができません。8日の昼前まで一緒に寝ました。裏山で遺体を荼毘に付し、翌朝お骨を丁寧に拾いました。この時も涙すら出ませんでした。しかし、お骨箱を胸に抱いて持ち帰り、白布に包んで茶だんすすの上に乗せたとき、どっと涙があふれてまいりました。体中の水分がみんな涙に変わったのかと思うほど、私はいつまでも泣き続けました。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 お母ちゃん、泣いてはいけん

ベルト、ズボン、下着
爆心地から1,400m 中広町 三上五月寄贈
このベルト、ズボン、下着は市立中学校1年生だった三上直樹さん(当時12 歳)が、被爆当日に身に着けていたものです。直樹さんは、朝礼のため校庭に出ていた際に被爆しました。重傷を負いながらも母親のいる自宅にたどり着き、救護所に運ばれ手当を受けましたが、その日のうちに亡くなりました。

母親・五月さんの手記より
「お母ちゃん」と、ありたけの力を絞り出したような声がして、直樹が帰って来ました。パンツ一枚の体になり、肩から背から血が流れています。救護所で手当をしてもらう事が出来たのですが、既に、死は、目前に迫っていました。「お母ちゃん、泣いてはいけん、これだけ大きな戦争で、学徒の僕たちが、生きておられることのないのは覚悟しとったよ……。お母ちゃんは人のためになる事を……」と、言い切らぬうちに、息を引きとりました。
展示説明文(英語) “Mom, you can’t cry. ”

Belt, trousers, and underpants
1,400 m from the hypocenter Nakahiro-machi Donated by Satsuki Mikami
Naoki Mikami (then 12), a first-year student at the Municipal Junior High School, was wearing these belt, trousers, and underpants on the day of the bombing. At the time of the bombing, Naoki was in the school ground to attend morning assembly.
Despite severe injuries, he managed to get home to his mother. He received treatment at a relief station but died on the same day.

Notes written by Satsuki, Naoki’s mother:
Naoki came home shouting “Mom!” as if using all the strength he had. Wearing nothing but underpants, he was bleeding from his back and shoulders. When he got access to treatment at the relief station, he was already dying. “Mom, you can’t cry. We, the mobilized students
have been prepared to lose our lives in such a big war... Mom, please do what you can for other people...,” he took his last breath before finishing his words.
資料性質 被爆資料

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