識別コード 3103-0013
資料名 ワンピース
資料名(英語) Dress
寄贈者(カナ) 髙瀬 二葉(タカセ フタバ)
寄贈者(英語) Futaba Takase
受入年月日 2005/11/15
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 690×980
被爆地(旧町名) 大手町八丁目
被爆地(現町名) 大手町五丁目
爆心地からの距離(m) 1100
数量 1
内容 寄贈者の三戸二葉(みとふたば)さん(当時18歳)は、母節子(せつこ)さん(当時38歳)と高等女学校3年生だった妹かすみさん(当時15歳)とともに、1945(昭和20)年7月26日に東京から広島に疎開した。8月6日、家族全員が屋内で被爆、節子さんは足に怪我を負いながらも二葉さんとかすみさんを倒壊した家の中から救助した。かすみさんは鏡台のガラス片で怪我をし、胸などが血だらけになっていた。二葉さんとかすみさんは、怪我のひどい節子さんを両側から支えて、火の海となった街から避難した。数日後、節子さんは避難先で足の治療を受けたが、結局、敗血症で9月1日に亡くなった。その後、二葉さんとかすみさんも原爆症が出てしばらく親戚宅で療養、一度は医者からもう駄目だといわれるほどの状態であったが、回復した。これは二葉さんが、被爆当日に着ていたワンピース。節子さんが縫ってくれたもので、節子さんの形見として大事に保存していた。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 髙瀬(旧姓 三戸)二葉さんは、母節子さん(当時38歳)と妹かすみさん(当時15歳)とともに7月26日、東京から広島の親せき宅へ疎開してきたばかりでした。大手町にあった疎開先で三人とも被爆。母親の節子さんは足にけがを負いながらも、二人の娘を倒壊した家の中から助け出しました。二葉さんんとかすみさんは、節子さんを両側から支え、火の海となった街から避難しました。節子さんは9月1日に敗血症で亡くなり、二葉さんとかすみさんも原爆症を発症しましたが、その後回復しました。これは、二葉さんが当日着ていたワンピースとです。

展示説明文(英語) Futaba Takase (formerly, Mito) evacuated on July 26 from Tokyo to a relative home in Hiroshima with her mother, Setsuko (then, 38) and her younger sister Kasumi (then, 15). The entire family was exposed at home in Ote-machi. Burned on her feet, Setsuko pulled her two daughters out of the collapsed house. Futaba and Kaumi supported their mother from each side as they fled through the flames. Though they found refuge and treatment for their mother, Setsuko died of blood poisoning on September 1. Futaba and Kasumi suffered A-bomb-related disorders, but both recovered. The items displayed here are the dress Futaba was wearing that day.

(from Futaba Takase's account)
Mother had made this dress for me, so I treasured it as a keepsake. When I married I took it with me, packed in the bottom of my case. I want everyone to know of the horror of nuclear weapons, the emptiness, cruelty, and suffering of war, to aim with good sense for peace free of nuclear weapons and the continuation of this happiness.
資料性質 被爆資料


Page Top