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被爆資料

識別コード 3102-0117
資料名 ズボン
資料名(英語) Trousers
寄贈者(カナ) 川崎 宏明(カワサキ ヒロアキ)
寄贈者(英語) KAWASAKI Hiroaki
受入年月日 2016/8/1
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 480×930
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 鶴見橋西詰
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m) 1,600
数量 1
内容 寄贈者の父・川崎員登さん(当時36歳)は、県立広島師範学校男子部附属国民学校の教師だった。8月6日の朝、いつもより少し早めに東観音町の家を出た員登さんは、東雲町の学校に向かう途中、卒業生たちが建物疎開作業に動員されていた鶴見橋付近に激励のため立ち寄った。再び学校へ向かおうと、自転車に乗った員登さんは、鶴見橋西詰に差し掛かったところで被爆。突然、背後上方からものすごい衝撃を受け、自転車ごと吹き飛ばされ、気づいた時には路上に倒れていた。周りには数人の人が倒れたり座り込んでおり、その中を大勢の人が右往左往していた。近くに爆弾が落ちたのだと思った員登さんは、いつも渡る鶴見橋を渡って東雲町の学校へ向かおうとしたが大混雑で渡ることは出来ず、仕方なくもっと上流の京橋を渡り、避難する人々に混じって学校へ向かった。背後から閃光を浴びた員登さんは、背中を負傷していることは分かっていたが、詳しい様子は分からないまま、やっとのことで学校近くへたどり着き、ぶどう棚の下で力尽きて気を失った。翌7日の朝までそこに倒れていた員登さんの大やけどを負った背中には、早くもウジ虫が湧きとても痛かった。それからやっとのことで自力で学校へたどり着き、居合わせた先生たちに応急手当てを受け、宿直室に寝かされた。
一方、東観音町の自宅で被爆した家族は、けがを負いながらも皆どうにか万一の際の避難先に決めていた三入村にたどり着いたが、員登さんはいつまでたっても姿を見せなかった。
8月8日か9日ごろ、三入村から親戚や近所の人が員登さんを捜しに行き、学校で員登さんを見つけて大八車に乗せて帰ってきた。員登さんは背中等に大やけどを負っており、家族で懸命に看病し、昭和21年の春ごろにはどうにか歩けるまでに回復した。
ブロック別
展示説明文 ズボンとゲートル
寄贈/川崎宏明(カワサキ ヒロアキ)氏
爆心地から1600m 鶴見橋西詰
教師だった寄贈者の父・川崎員登(カワサキ カズト)さん(当時36歳)が被爆時に着ていたものです。8月6日の朝、自転車で自宅を出た員登さんは、鶴見橋西詰に差し掛かかったところで被爆しました。突然、背後からものすごい衝撃を受け、自転車ごと吹き飛ばされました。気づいた時には道に倒れており、何も見えず、手探りで這っていると、誰かが「顔中が血だらけですよ」と教えてくれました。顔をなでると、額から血の塊が垂れ下がっていました。やっとのことで学校の近くまで逃げましたが、気を失い、翌7日の朝まで、そこに倒れていました。大やけどを負った背中には、早くもウジ虫が湧いていました。数日後、家族は、員登さんを発見、懸命に看病しました。
<長男・宏明(ヒロアキ)さんのお話より>
メリケン粉と食用油に赤チンを混ぜ、ガーゼ代わりの浴衣の生地に塗り付け、やけど部分に貼りつけました。朝晩張り替える時の父のうめき声とも悲鳴ともつかない声が、今でも耳に残っています。歩けるまでに回復しましたが、左ひじはケロイドになり、片耳は鼓膜が破れ、目に損傷を受け視力が落ちたまま、亡くなるまで症状の改善はありませんでした。こんな苦しみと悲しみは、家族は勿論誰にも味わってほしくありません。
展示説明文(英語) Pants and gaiters
Donor: Hiroaki Kawasaki
West end of Turumi Bridge, 1600m from the hypocenter
They were worn by Mr. Kazuto Kawasaki (36 years old at the time), the donor's father who was a teacher, at the time of the atomic bombing. On the morning of August 6th, Kazuto left home on a bicycle and was exposed to the bombing at the western end of the Tsurumi-bashi Bridge. He suddenly received a powerful blow from behind, and was blown away along with his bicycle. When he came to, he was lying on the road, and couldn't see anything. While he was crawling blindly, someone told him, “Your face is covered in blood.” He touched his face and found a glob of blood hanging from his forehead. He somehow made his way close to the school, but passed out, and was lying there until the next morning on the 7th. His back that had been severely burned was already infested with maggots. A few days later, the family found Kazuto, and did everything they could to take care of him.
<Excerpt from Hiroaki, the first son’s testimony>
They mixed flour and cooking oil with Mercurochrome, coated pieces of yukata cloth in place of gauze, and applied them to the burns. I can still hear my father's voice, neither a groan nor a scream, when the cloth was exchanged mornings and evenings. He recovered enough to walk, but his left elbow had keloid scars, one eardrum was ruptured and his eyes were damaged. His eyesight was reduced and never improved. I don't ever want any family members, or anyone else for that matter, to go through such suffering and grief.
資料性質 被爆資料

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