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被爆資料

識別コード 3102-0115
資料名 モンペ
資料名(英語) Work pants
寄贈者(カナ) 隅本 陽子(スミモト ヨウコ)
寄贈者(英語) SUMIMOTO Yoko
受入年月日 2015/1/13
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 910×440
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 尾長町
被爆地(現町名) 光町
爆心地からの距離(m) 2300m
数量 1
内容 県立広島第二高等女学校1年生だった隅本(旧姓:沢井)陽子さん(当時12歳)は、東練兵場で草取りの作業をしている最中に被爆した。
急にパッと光り、今までに感じたことのないような強い光を感じた陽子さんは、思わず畑の畝の間に伏せたが、すでに右の首から腕にかけてと腿に大火傷をしていた。しばらくして視界が開け、陽子さんは裏の山に避難した。焼けたところが熱いような気がしたため、制服とモンペを脱ぎ、シュミーズとパンツ姿になったが、ズック(靴)は地面が熱く裸足では歩けないので脱がなかった。夕方、軽傷の友達に抱えられて、東練兵場にできたテント張りの救護所へ行ったが、赤チンしかなく、つけてもらうと皮膚がひっぱられて痛かった。それからまた友達に支えられて、宇品の女専(内にあった第二県女)へ向かった。足から出る汁でズック(靴)の中は歩くたび、ぐじゃっ、ぐじゃっ、と雨降りの時みたいになった。
その夜は学校で一晩過ごし、翌日、陽子さんは捜しに来た母の春代さんと学校で再会した。火傷の陽子さんを見た春代さんは、いったん陽子さんの父の勝一さんの里の上安から大八車を借りて、親戚たちと戻ってきた。大八車には大火傷の勝一さんが乗せられていた。勝一さんは夜勤明けだった6日の朝、自転車で上安へ疎開の荷物を運んでいる途中、泉邸の側で被爆し、千田町にあった会社の防空壕に避難していた。陽子さんは勝一さんと一緒に大八車に寝かせられたが、2人とも裸同然のような恰好だったため、大八車がガタガタと動くたびに、お互いの傷がこすり合って痛かった。
上安に戻ってからは、母の春代さんが看病に努めた。看病といってもたいした薬もなく、塩水で軽く傷あとを洗い、赤チンをのせ、その上に天ぷら油をつけるという繰り返しだった。そんな調子で陽子さんは9月末くらいまでは動くことができなかった。
このモンペは、被爆時に陽子さんが着ていたもの。陽子さんの体にはケロイドの痕が残っており、結婚するまではモンペを見るのも嫌だったが、だんだんと気持ちも変化し、今日まで頑張ってきたという。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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