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被爆資料

識別コード 3102-0100
資料名 ズボン
資料名(英語) Trousers
寄贈者(カナ) 浅野 純以(アサノ ジュンイ)
寄贈者(英語) Juni Asano
受入年月日 2005/07/20
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 460×520
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 八丁堀
被爆地(現町名) 八丁堀
爆心地からの距離(m) 800
数量 1
内容 崇徳中学校1年生だった浅野綜智(そうち)さん(当時12歳)は、学徒動員先である八丁堀・白島方面の建物疎開作業現場で被爆した。親戚の西尾幹三(にしおみきそう)さんが入市、常葉橋のたもとで、綜智さんを発見した。7日夜11時頃に叔母の西尾博子さん宅に、綜智さんを乗せたリヤカーが到着。綜智さんは、帽子のひさしより下の顔、腕や足など服を着ていなかった部分に大やけどを負っていた。綜智さんは、6日の夜は、寝たら死体と間違われて焼かれてしまうと思い、寝なかったんだと語った。博子さんが、寝なかったのなら、眠いでしょう、今日は早く寝なさいと声をかけると、そこにいたみんなに「おやすみなさい」といって眠り、7日の夜遅くそのまま息を引き取った。15日朝に愛媛県大三島の実家から、父浅野三智(さんち)さんと祖母トマさんが到着したが、綜智さんはすでに遺骨となっていた。7月末の日曜の朝、綜智さんは実家に戻った。境内で遊んでいた弟妹たちは、帰ってきた兄を見つけて喜び、母弥笑(やえみ)さんは綜智さんを風呂に入れ、頭を剃ってやった。夏休みなので実家に残れとすすめたが、月曜からの作業に行かなくてはと、数時間だけ滞在しただけでその日のうちに広島ヘ戻った。それが、綜智さんが家族と過ごした最後となってしまった。このズボンは被爆時に身につけていたもので、母弥笑さんが綜智さんの遺品として大事に保存していたもの。
ブロック別 基町・白島地区
展示説明文 ズボン
浅野純以さんの兄、綜智さんは、当時崇徳中学校1年生で、学徒動員先の八丁堀・白島方面で建物疎開作業中に被爆。7日、叔父の西尾幹三さんが常葉橋のたもとで発見し、廿日市町の自宅へ連れて帰りましたが、顔面・手足に大やけどを負っており、その日のうちに亡くなりました。15日に愛媛県大三島の実家から両親が到着した時、綜智さんはすでに遺骨となっていました。これは被爆した時に綜智さんが身につけていたもので、母親の弥笑さんによって大切に保存されていました。

寄贈者のコメントより
(兄は)6日の朝は寝たら死体と間違われて焼かれてしまうと思い、寝なかったんだと話ました。叔母が「寝なかったのなら眠いでしょう。今日は早く寝なさい。」と声をかけると、そこにいたみんなに「おやすみなさい」と言って眠り、夜遅くそのまま息を引き取りました。
展示説明文(英語) Trousers
Juni Asano’s older brother Sochi, a first-year student at Sotoku Junior High School, was exposed while demolishing buildings in the area between Hatchobori and Hakushima. On the 7th, his uncle Mikiso Nishio found him at the foot of Tokiwa Bridge and took him to his own home in Hatsukaichi-cho. Severely burned on the face, arms, and legs, Sochi died before the day was out. When Sochi’s parents came from their home on Omishima Island in Ehime Prefecture on the 15th, their son was already ashes. Sochi was wearing this trousers when he was exposed. His mother, Yaemi, preserved them carefully.

(from the donor’s comments)
My older brother told me he didn’t sleep the night of the 6th because he was afraid he would be mistaken for a corpse and cremated. My aunt said, “If you didn’t sleep, you must be sleepy. You better go to bed early tonight.” At that, he turned to us all and said, “Good night,” and went to bed. Late that night, he breathed his last.
資料性質 被爆資料

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