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被爆資料

識別コード 3102-0087
資料名 学生ズボン
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 堂黒 みどり(ドウグロ ミドリ)
寄贈者(英語) Midori Doguro
受入年月日 2002/08/02
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 630×1010
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 大手町八丁目
被爆地(現町名) 大手町五丁目
爆心地からの距離(m) 1200
数量 1
内容 広島工業専門学校生徒の堂黒勉(つとむ)さん(当時20歳)は、学徒動員先の工場に向う途中、鷹野橋のバス停で被爆した。気がついた時には爆風で電車通りにまで飛ばされ、顔には大火傷を負っていた。いつまでたっても帰ってこない息子を心配した父親の喜代登さんと母親のひふみさんは郊外の高陽町の自宅から近所の人と共に入市し、勉さんを懸命に捜したがなかなか見つけることが出来なかった。10日になってようやく広島赤十字病院に収容されている勉さんを発見し、自宅に連れ帰り、薬もない中懸命に看病したが、8月27日、勉さんは亡くなった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 広島工業専門学校生徒の堂黒勉さん(当時20歳)は、学徒動員先の工場に向う途中、爆心地から1,200mの大手町八丁目で被爆しました。8月9日、広島赤十字病院前で動けなくなっていた勉さんを近所の人が発見。知らせを受けた両親が自宅へ連れ帰り看病を続けましたが、8月27日、勉さんは亡くなりました。
展示説明文(英語) Tsutomu Doguro (then, 20), a student at Hiroshima Technical College, was exposed to the bomb in Ote-machi 8-chome, 1,200 m of the hypocenter, on the way to the factory where he was mobilized. On August 9, his neighbor found him immobile in front of the Hiroshima Red Cross Hospital. Learning of Tsutomu’s whereabouts, his parents took him home and constantly cared for him. However, he died on August 27.
資料性質 被爆資料

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