識別コード | 3102-0044 |
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資料名 | 学生ズボン |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 松田 雪美(マツダ ユキミ) |
寄贈者(英語) | Yukimi Matsuda |
受入年月日 | 1983/06/29 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 430×600 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 国泰寺町 |
被爆地(現町名) | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離(m) | 1200 |
数量 | 1 |
内容 | 市立第一工業学校3年生の松田敏彦さん(当時14歳)は、動員先である舟入町の富田製油の工場へ向かう途中の鷹野橋電停で被爆した。せん光とともに地面に伏せたため、頭の後ろと手の甲を焼かれた。母親の雪美さん(当時34歳)は、疎開先の西条からすぐ広島に向い、敏彦さんを捜したが、見つけられず、8日に担架に乗せられて西条に戻ってきた敏彦さんを見て、全身の力が抜ける気がしたという。大火傷を負いながらも、「橋が焼けたけぇ、川を3つも泳いで渡った」と語る元気のあった敏彦さんだったが「死にゃぁせんから、心配しんさんな」と言い残し、21日に看病の甲斐なく死亡した。 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | 市立第一工業学校3年生の松田敏彦さん(当時14歳)は、学徒動員先の工場へ向う途中に被爆しました。閃光と共に地面に伏せたため、後頭部と手の甲に大火傷を負いました。母親の雪美さん(当時34歳)は疎開先の西条町からすぐに広島市内に向かい、敏彦さんを捜しましたが見つからず、8日に担架に乗せられて西条町に戻ってきた敏彦さんを見て、全身の力が抜けるような気がしました。敏彦さんは、大火傷を負いながらも「橋が焼けたけぇ、川を3つも泳いで渡った」と語る元気がありましたが、「死にゃあせんから、心配しんさんな」と言い残し、21日に亡くなりました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |