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トップページ被爆資料切れ端になったズボン

被爆資料

識別コード 3102-0029
資料名 切れ端になったズボン
資料名(英語) Trousers in shreds
寄贈者(カナ) 木下 勝行(キノシタ カツユキ)
寄贈者(英語) Katsuyuki Kinoshita
受入年月日 1972/09/16
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 420×300
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 雑魚場町
被爆地(現町名) 国泰寺町
爆心地からの距離(m) 1200
数量 1
内容 山陽工業学校1年生の木下義治さん(当時13歳)は、雑魚場町の建物疎開作業現場で被爆した。父親の布哇一さん(当時47歳)は、市内の異常事態を出張先で聞き、急きょ帰宅、三男の勝行さん(当時11歳)を連れ、市内各所を捜しに行ったが、義治さんを見つける事ができなかった。7日未明から一人で捜索をしていた布哇一さんは、夕方になって出汐町の広島陸軍被服支廠でわが子の遺体を発見した。義治さんは、大火傷を負って全身に包帯が巻かれており、胴部分につけられていた荷札の名前で見つけることができたのだった。8日未明布哇一さんは義治さんの遺体を大八車に乗せ自宅に戻り、9日荼毘に付した。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 山陽工業学校1年生の木下義治さん(当時13歳)は、建物疎開作業現場で被爆。父親の布哇一さんは出張先から急きょ帰宅、7日、出汐町の広島陸軍被服支廠で義治さんの遺体を見つけました。大やけどを負って全身に包帯が巻かれており、胴につけられていた荷札の名前で本人と確認しました。布哇一さんは遺体を大八車に乗せて連れ帰り、火葬しました。
展示説明文(英語) Yoshiharu Kinoshita (then, 13) was a first- year student at Sanyo Technical School when he was exposed at his building demolition worksite. His father, Hawaichi, hurried home from s business trip and found his son's corpse on the 7th at the Hiroshima Army Clothing Depot. Yoshiharu's horribly burned body was covered with bandages, and Hawaichi recognized him only by the name attached to his waist. Hawaichi carried the body home on a cart and cremated it.
資料性質 被爆資料

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