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被爆資料

識別コード 3101-0162
資料名 シャツの一部
資料名(英語) Part of a Shirt
寄贈者(カナ) 武田 孝子(タケダ タカコ)
寄贈者(英語) Takako Takeda
受入年月日 2004/10/08
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 260×230
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 八丁堀
被爆地(現町名) 八丁堀
爆心地からの距離(m) 800
数量 1
内容 崇徳中学校1年生だった武田誓吾さん(当時12歳)は、学徒動員先である建物疎開作業現場で被爆した。続々と被爆者たちが逃げて来る中、家族は帰ってこない誓吾さんの身を案じていた。父の庸全さんは自宅の寺を離れることができず、母のしで代さんが7日の午前5時から市内に捜索に入った。しかし誓吾さんを見つけることはできなかった。全身に大やけどを負った誓吾さんは必死で牛田の山を越え芸備線に乗り、玖村まで避難していた。そこで力尽きて倒れているところを助けられ、7日に自宅に連絡が届いた。庸全さんとしで代さんがすぐに玖村に向かい、変わり果てた姿の誓吾さんと再会した。病院に連れて行ったが、大勢の被災者で治療を受けることもできず、大八車に乗せて、8日~9日頃に自宅に連れて帰った。家族がトマトジュースを与えたが、いらない、水をくれといい、10日の夜明けを待たずに、「お母さん、さみしいよ」といって息を引き取った。このシャツは当日着ていたもの。被爆の瞬間とっさに前かがみになったので、全身ごろが残った。背中部分は焼け落ち、その下の皮ふは焼けただれていた。これはしで代さんが切り取り、庸全さんが名前を書いて保存していたもの。
ブロック別 基町・白島地区
展示説明文 崇徳中学校1年生の武田誓吾さん(当時12歳)は、建物疎開作業現場で被爆。家族が誓吾さんを捜していたところ、大やけどを負った誓吾さんが倒れているところを助けられたと、7日、自宅に連絡が届きました。自宅に連れて帰り、家族がトマトジュースを与えましたが、いらない、水をくれといい、10日の夜明けを待たずに、「お母さん、さみしいよ」といって息を引き取りました。このシャツは誓吾さんが当日着ていたもので、背中部分は焼け落ち、その下の皮ふは焼けただれていました。これは母のしで代さんが切り取り、父の庸全さんが名前を書いて保存していたものです。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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