識別コード | 3101-0103 |
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資料名 | モンペの上着 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 大東和 清子(オオトウワ キヨコ) |
寄贈者(英語) | Otowa Kiyoko |
受入年月日 | 1994/08/01 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 1300×620 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 鷹野橋付近 |
被爆地(現町名) | 鷹野橋付近 |
爆心地からの距離(m) | 1200 |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の大東和清子さん(当時37歳)は、通院していた歯科医院へ向かう途中、鷹野橋付近の道路上で被爆した。右手内側は大きく裂け、顔や腕、足などに火傷を負いながらも、火の海となった街からやっとの思いで逃げ、南観音町の自宅に帰り着いた。夫の徳雄さん(当時42歳)は、市中心部の建物疎開作業現場に学徒動員されていた長男の政彦さん(当時12歳)を捜索に出ていたため、15歳の長女と6歳の次女が、重傷の母を懸命に看病した。清子さんは一命をとりとめたが、政彦さんは、現在まで遺体すら見つかっていない。 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | 大東和清子さん(当時37歳)は、鷹野橋付近の路上で被爆しました。右手の内側は大きく裂け、顔や腕、足などに火傷を負いながらも、火の海となった街からやっとの思いで逃れ、南観音町の自宅に帰り着きました。15歳と6歳の娘の懸命な看病を受け、清子さんは一命を取り留めましたが、市中心部の建物疎開作業に学徒動員されていた息子の政彦さん(当時12歳)は、父親の徳雄さん(当時42歳)の懸命の捜索にもかかわらず、現在でも遺体すら見つかっていません。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |