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トップページ被爆資料ブラウス

被爆資料

識別コード 3101-0080
資料名 ブラウス
資料名(英語) Blouse
寄贈者(カナ) 大本 徳夫(オオモト トクオ)
寄贈者(英語) Tokuo Omoto
受入年月日 1973/06/22
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 510×570
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 比治山橋
被爆地(現町名) 比治山橋
爆心地からの距離(m) 1710
数量 1
内容 大本利子さん(当時17歳)は女子挺身隊として鈴木化学に勤めていた。8月6日は、たまたま雑魚場町の建物疎開作業に従事することになっており、現場に向かおうと友達3~4人と比治山橋の上にいたところで被爆した。疎開先の可部で、なかなか戻ってこない利子さんを心配した父の徳夫さんや、弟の久夫さんたちは、翌7日から利子さんを捜しに市内へ向かった。連日方々捜し、8月14日、徳夫さんは宇品の暁部隊で利子さんを発見した。利子さんの体の前面は大火傷で、髪はなく、両眼球は飛び出しており、名前を呼んだ返事の声でようやく我が子だとわかるほどだった。その後、利子さんは坂の国民学校に転送されたが、8月16日、ようやく可部の疎開先へ帰ることができた。
夜に利子さんの体にわいたうじを箸でとるのが、弟の久夫さんの仕事だった。利子さんは「こんな鬼のような形相をした私がいたら、久夫ちゃんに嫁が来んようになる。大本の家のためには、死ななければいけん」と言っていたという。薬がなかったため、きゅうりをすったものをうどん粉の中に入れ、それを利子さんの体に貼ったが、はがすのがとても痛かったらしく、毎日悲鳴があがり、それは利子さんが亡くなる10月2日まで続いた。久夫さんはその絶叫する声が怖くて、利子さんの近くに行けなかったことを、今でも反省し、悔やんでいる。
このブラウスは、利子さんが8月6日当日着ていたもので、父の徳夫さんの絣の浴衣を、母の静子さんが縫い直したもの。 
ブロック別 比治山・仁保地区
展示説明文 大本利子(おおもと・としこ)さん(当時17歳)
女子挺身隊
爆心地から1710m 比治山橋で被爆

利子さんのブラウス
寄贈/大本徳夫氏
お父さんの浴衣を、お母さんが縫い直して作りました。
前面と絣の模様が焼け落ちています。
白く残っているのは火傷薬です。

大本利子さんは、建物疎開作業の現場に向かう途中、友達3~4人と橋の上で被爆しました。帰ってこない利子さんを心配したお父さんや弟の久夫さんは、翌日から利子さんを捜しはじめました。14日にお父さんが利子さんを見つけた時、利子さんの体の前面は大火傷で、髪と耳はなく、両眼球は飛び出しており、声でようやく我が子だとわかるほどでした。
利子さんの体にわいたうじは、とってもきりがありませんでした。利子さんは「こんな鬼のような形相をした私がいたら、久夫ちゃんに嫁が来んようになる。大本の家のためには、死なんといけん」と言ったそうです。薬がなかったため、きゅうりをすったものをうどん粉の中に入れ、利子さんの体に貼りました。それをはがす時はとても痛かったらしく、利子さんは10月2日に亡くなるまで毎日悲鳴をあげ続けました。 久夫さんはその絶叫する声が怖くて、利子さんの近くに行けなかったことを、今でも反省し悔やんでいます。
展示説明文(英語) Toshiko Omoto 17 years old at the time
Girls Volunteer Corps
Exposed to the bomb at Hijiyama Bridge, 1,710m from the hypocenter

Toshiko's blouse
Donated by Tokuo Omoto
Her mother had sewn this for Toshiko using cloth from her father's yukata.
The front and the splash patterns are burned away.
The remaining white parts are where the burn ointment was applied.

Toshiko Omoto was exposed to the bombing on a bridge with three or four friends, while they were headed for their building demolition work site. When she failed to return home, her father and younger brother Hisao became worried. The next day, they started searching for her. When her father found her on the 14th, the front of her body was severely burned, she had lost her hair and ears, and both her eyeballs were bulging out. She was so disfigured that it was only by her voice that he recognized his own child.
Toshiko's body was crawling with endless numbers of maggots. Hisao says that she said, "Nobody will marry Hisao if I'm there, now that I'm like a devil in appearance. I must die, for the Omoto family's sake." There was no ointment, so her mother made a paste of ground cucumbers in flour, and smeared it over Toshiko's body. When it was peeled away, it seems to have hurt Toshiko very much, and she shrieked continually every day until she passed away on October 2. Her screaming scared Hisao so much that he was unable to go near her, and this still grieves him today when he introspects.
資料性質 被爆資料

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