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被爆資料

識別コード 3101-0069
資料名 モンペの上着
資料名(英語) Monpe jacket
寄贈者(カナ) 乙井 包義(オトイ カネヨシ)
寄贈者(英語) Kaneyoshi Otoi
受入年月日 1974/06/25
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 510×720
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 雑魚場町
被爆地(現町名) 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 乙井ヨシコさん(当時28歳)は、雑魚場町の建物疎開作業現場で被爆し、火傷を負った。宇品神田の自宅に帰りついた後、似島の救護所に収容されたが、2日後に死亡した。背面から熱線の直射を受けたため、背中は大部分焼失している。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 モンペ・モンペの上着
乙井包義氏寄贈
爆心地から約1,000m 雑魚場町(現在の国泰寺町一丁目)
乙井ヨシコさん(当時28歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。自宅に帰りつき、似島に収容されましたが、2日後に亡くなりました。家族が看病に行ったところ、遺体はすでにだびに付されて、遺骨はわかりませんでした。被爆時に着ていたこのモンペは、後ろから熱線の直射を受けたため、背中の大部分が焼失しています。
展示説明文(英語) Monpe workpants and jacket
Donated by Kaneyoshi Otoi
Approx. 1,000 m from the hypocenter,
Zakoba-cho (now, Kokutaiji-machi, 1-chome)
Yoshiko Otoi (then, 28) was exposed to the A-bomb at her building demolition worksite. Yoshiko made it home, then was taken to Ninoshima Island. She died two days later. When her family went to the island, her body had already been cremated with others and her ashes could not be identified. She was wearing these monpe at the time. Because the heat ray struck her from behind, her back was mostly burned away.
資料性質 被爆資料

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