識別コード | 2401-0020 |
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資料名 | 非常食 |
資料名(英語) | Emergency Food Rations |
寄贈者(カナ) | 西村 敏蔵(ニシムラ トシゾウ) |
寄贈者(英語) | Toshizo Nishimura |
受入年月日 | 1988/09/20 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 80φ×100 |
被爆地(旧町名) | 河原町 |
被爆地(現町名) | 河原町 |
爆心地からの距離(m) | 850 |
数量 | 1 |
内容 | 河原町の西村醤油醸造工場の焼け跡で収集したもの。この自宅兼工場では、父親の幸蔵さん(当時51歳)、母親のヒサさん(当時46歳)、妹の冨美子さん(当時20歳)の3人が被爆した。朝食後、居間でくつろいでいる時の事だった。幸蔵さんは家の下敷きになり、逃れることができずそのまま焼死。ヒサさんはなんとか這いだし、三原市の実家に帰ったものの、8月28日に死亡した。前日結納を終えたばかりだった冨美子さんは崩れた家から這いだし、川に飛び込んで下流まで泳いで逃れ、舟入川口町付近の土手にいたところを親類に見つけられ、岩国市へ逃れたが9月1日死亡した。 |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
展示説明文 | 西村敏蔵氏寄贈(にしむら としぞう) 爆心地から約850m 河原町(かわらまち) 西村幸蔵さん(こうぞう 当時51歳)と妻のヒサさん(当時46歳)、娘の冨美子さん(ふみこ 当時20歳)は、自宅で被爆しました。朝食後、居間でくつろいでいる時の出来事で、幸蔵さんは家の下敷きになって逃れることができず、そのまま焼死しました。どうにか逃れたヒサさんと冨美子さんも、やがて相次いで亡くなりました。江田島にいた息子の敏蔵さんが3日後に市内に戻ると、自宅兼工場の焼け跡は廃墟と化していました。 |
展示説明文(英語) | Donated by Toshizo Nishimura Approx. 850 m from the hypocenter Kawara-machi Kozo Nishimura (then, 51), his wife Hisa (then, 46), and their daughter Fumiko (then, 20) were relaxing in their living room after breakfast when the bomb fell. Kozo was trapped and burned to death under the fallen house. Hisa and Fumiko, who managed to escape, died some time later. The couple’s son Toshizo, who was stationed on Etajima Island, entered the city three days later to find the family home and factory reduced to rubble. |
資料性質 | 被爆資料 |