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被爆資料

識別コード 2303-0005
資料名
資料名(英語) Rice Pot
寄贈者(カナ) 新田 トモ(ニッタ トモ)
寄贈者(英語) Tomo Nitta
受入年月日
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 290×235
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 空鞘町
被爆地(現町名) 本川町
爆心地からの距離(m) 600
数量 1
内容 寄贈者の新田トモさんの自宅で被爆し、1945(昭和20)年8月15日に焼け跡から持ち帰ったもの。6日の朝、水を入れ茶碗をつけていたが、茶碗とともにすっかり焼け焦げていた。トモさんの夫の元吉さん(当時40歳)は、建物疎開作業に動員され、自宅近くの空鞘神社で点呼中に被爆した。大きな外傷はなく、6日の真夜中に家族の疎開先へ自力でたどり着き、家族と再会を果たした。しかしのどがひどく腫れはじめ、水を欲しがったが、水を飲ませると死ぬと聞いていたトモさんはあまり水を飲ませられなかった。9日頃に家族が救護所に運んだが薬もなく、のどの痛みで食べ物もたべられないまま、トモさんと3人の子どもを残し、8月11日に亡くなった。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文
爆心地から600m 空鞘町 新田トモ寄贈
自宅の焼け跡から持ち帰ったものです。8月6日の朝、釜の中に水を入れ浸していた茶碗とともに焼け焦げました。トモさんの夫の元吉(もときち)さん(当時40歳)は建物疎開作業に動員され、自宅近くの神社で点呼中に被爆しました。家族の疎開先に自力でたどりつきましたが、のどの痛みで食べ物も食べられないまま、8月12日に亡くなりました。
(2019年本館常設展示)
展示説明文(英語) Rice pot
600 m from the hypocenter Sorazaya-cho Donated by Tomo Nitta
Tomo found this rice pot in the burned ruins of her home. The pot was originally filled with water, but rice bowls inside were charred. Tomo’s husband Motokichi (40) was exposed to the bombing at the nearest shrine while engaging in building demolition work. He managed to reach his family’s evacuation site but was unable to eat due to the pain in his throat. He died on August 12.
(2019 Main Building)
資料性質 被爆資料

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