識別コード 2301-0010
資料名 弁当箱
資料名(英語) Lunch box
寄贈者(カナ) 西村 博次(ニシムラ ヒロジ)
寄贈者(英語) Hiroji Nishimura
受入年月日 1966/08/03
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 150×100×30
被爆地(旧町名) 雑魚場町
被爆地(現町名) 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離(m) 900
数量 1
内容 鷹匠町土井内町内会副会長の西村平次郎さんは、建物疎開作業のため県立広島第一中学校校庭に町内会員30~40名を引率し、集合したとき被爆、共に作業に出ていた妻のイツさんも被爆し、2人共現在も行方不明のまま。祇園に疎開していて、無事だった次女の八重子さん(当時24歳)が家族の安否をたずねて7日に入市しはっきりした遺骨も見つからないまま、この弁当箱だけを大切に持ち帰った。黒こげになった弁当の中身は、ごぼう、じゃがいも、豆などであった。また鷹匠町の自宅では三女の智恵さん(当時22歳)ら4人が亡くなった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 西村平次郎さんは、妻のイツさんと建物疎開作業のために集合していた県立広島第一中学校校庭で被爆しました。次女の八重子さん(当時24歳)は両親の安否をたずねて7日に入市し、この弁当箱を見つけました。黒こげになった弁当箱には、ごぼう、じゃがいも、豆などが入ったままでした。また、爆心地から650メートルにあった自宅では、三女の智恵さん(当時22歳)ら4人が亡くなりました。
展示説明文(英語) Heijiro Nishimura and his wife Itsu had gathered with other members of their building demolition group in the First Hiroshima Prefectural Junior High School schoolyard when the bomb exploded. Their second daughter Yaeko (then,24) came into the city on the 7th in search of her parents. She found this charred lunch box, which contained, burdock, potatoes, and beans at the site. Their third daughter Tomoe (then,22) died at their home, 650 m from the hypocenter along with three other family members.
資料性質 被爆資料


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