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被爆資料

識別コード 2201-0047
資料名 変形したガラスびん
資料名(英語) Deformed glass bottle
寄贈者(カナ) 玖島 圓助(クシマ エンスケ)
寄贈者(英語) Ensuke Kushima
受入年月日 1973/09/10
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 100×40×65
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中島本町
被爆地(現町名) 中島町
爆心地からの距離(m) 370
数量 1
内容 玖島さん一家6人は、上水主町の自宅が建物疎開にかかったため、材木町と本川橋東詰の中島本町に家を借りて引っ越していた。6日、寄贈者の圓助さんは、所用で出かけていた京都から帰宅中で、当日午後10時頃自宅に辿り着いた。自宅は共に全壊全焼で、材木町の家にいた妻のトメさん(当時43歳)と娘の博枝さん(当時20歳)は現在も行方不明のままである。学徒動員で新川場町に行っていた息子で山陽中学校1年生の正文さん(当時13歳)は、全身に大火傷を負いながら、疎開先の高須にようやく辿り着いたものの、8月24日に死亡した。これは、中島本町の自宅焼け跡を整理したときに掘り出されたもの。高熱火災により変形している。
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
展示説明文 ガラス瓶
寄贈/玖島圓助氏
爆心地から約370m 中島本町(現在の中島町)
玖島圓助さんは所用で出かけていたため無事でしたが、妻のトメさん(当時43歳)と二女の博枝さん(当時20歳)は材木町(現在の中島町)の自宅で被爆、現在も遺骨は見つかっていません。三男で山陽中学校1年生だった正文さん(当時13歳)は、動員学徒として新川場町(現在の小町)で建物疎開作業中に被爆しました。全身に大火傷を負いながらも古田町の伯父宅にたどり着きましたが、8月24日に亡くなりました。このガラス瓶は、荷物を保管するために借りていた中島本町の家の焼け跡から掘り出したものです。
展示説明文(英語) Glass bottle
Donation / Ensuke Kushima
Approx. 370m from the hypocenter Nakajima-hon-machi (now Nakajima-cho)
Ensuke Kujima had been away on business, so he was unharmed. His wife Tome (then 43) and their second daugher Hiroe (then 20) were exposed to the bomb in their home in Zaimoku-cho (now Nakajima-cho). Their remains were never found. Their third son Masafumi (then 13) was a moblized student. He was exposed to the bomb while demolishing buildings in Shinsenba-cho (now Ko-machi). Though burned over his entire body, he managed to flee to his uncle’s home in Furuta-machi, then died on August 24.
資料性質 被爆資料

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