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被爆資料

識別コード 2101-0921
資料名 どんぶり
資料名(英語) Rice bowls
寄贈者(カナ) 保田 訓雄(ヤスダ クニオ)
寄贈者(英語) YASUDA Kunio
受入年月日 2020/6/2
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 153φ×64
被爆地(旧町名) 京橋町
被爆地(現町名) 京橋町
爆心地からの距離(m) 1700
数量 1
内容 寄贈者の父・保田仲蔵さん(当時32歳)が家族で経営していた造り酒屋・保田七兵衛商店の焼跡で拾ったもの。
戦時中、店員や蔵人に配給米を分配するとき、これで計量していた。
仲蔵さんは店の外で被爆したが、やけどは負わなかった。しかし、崩れてきた土壁の下敷になってできた切り傷が背中に残った。1986年(昭和61年)に亡くなるまで、原爆について聞かれても「死んだ人ばかり見たから嫌だ」と言って詳しく話すことはなかった。
保田七兵衛商店は、京橋町の旧西国街道沿いで江戸時代から清酒・醤油醸造業を営む商家だったが、原爆で全焼し廃業した。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文 保田仲蔵さん 当時32歳
京橋町 爆心地から1.63km
警防団の分団長だった保田さんは、自宅の土塀の下敷きになりました。
肋骨を骨折しましたが、焼け野原の街に残り、負傷者の手当てや、罹災証明書の発行を続けました。

店の焼け跡で拾ったどんぶり
保田さんの家は、江戸時代から続く清酒と醤油のお店でしたが、原爆により廃業しました。
職人たちに配給米を分配するのに使っていました。
寄贈:保田訓雄
展示説明文(英語) Nakazo Yasuda
Then 32
Kyobashi-cho 1.63km from the hypocenter
Nakazo Yasuda, head of a unit of the civil defense team, got trapped under a fallen mud wall of his house.
With his ribs broken, he nevertheless stayed in the ruined city to treat the injured and issue disaster victim certificates.

Rice bowls picked up at the burnt-out ruins of the store
The Yasuda family had been running a sake and soy sauce shop for many generations since the Edo period (1603-1867). However, the atomic bombing forced them out of that business.
These bowls were used to pass around the rationed rice to the store workers.
Donated by Kunio Yasuda
資料性質 被爆資料

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