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被爆資料

識別コード 2101-0896
資料名 かわらけ
資料名(英語) earthware plate
寄贈者(カナ) 森 冨士子(モリ フジコ)
寄贈者(英語) MORI Fujiko
受入年月日 2016/12/7
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 80×70×20
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 原爆投下により、爆心地となった島病院は壊滅し、患者、看護師などが全滅したが、たまたま世羅郡に往診に出ていた院長は無事だった。
村上キクヨさん(当時33歳)は、島病院の開業当時から長く看護婦長として勤務していた。昭和17年頃に退職したキクヨさんは、被爆時は爆心地から約2,500mの自宅にいた。ケガはなく、被爆から数日後、身重の体ながら、息子の勝彦さん(当時2歳)を背負って市内に入ったキクヨさんは、救護所となっていた袋町国民学校へ向かった。袋町国民学校では、島院長が被災者の治療にあたっており、二人は感動の再会をした。
これはそのころにキクヨさんが市内で収集したもの。
ブロック別
展示説明文 水差し、湯飲み、皿
寄贈/森冨士子(モリ フジコ)氏
寄贈者の母・村上キクヨさんは、爆心地から2,500メートルの自宅で被爆。ケガはなく、被爆から数日後、身重の体ながら、2歳の息子を背負い、市内に入りました。開業当時から勤めていた島病院は、爆心地となり、壊滅。約75人の患者とキクヨさんの同僚だった看護師らは、全滅していました。これらは、そのころにキクヨさんが市内から持ち帰ったもので、亡くなるまで持っていました。
展示説明文(英語) Pitcher, tea cup, plate
Donor: Fujiko Mori
Ms. Kikuyo Murakami, the donor's mother, was exposed to the atomic bombing at home, which was 2,500 m from the hypocenter. She was uninjured. A few days later, she went into the city while pregnant, carrying her 2-year-old son on her back. Shima Hospital, where she worked since its opening, was right at the hypocenter and was totally destroyed. The approximately 75 patients and the nurses, Kikuyo's colleagues, all died. These were articles taken back from the city by Kikuyo at the time, and she held onto them until she died.
資料性質 被爆資料

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