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トップページ被爆資料ガラスの付着した銚子

被爆資料

識別コード 2101-0889
資料名 ガラスの付着した銚子
資料名(英語) Choshi (sake bottle) with glass fragments adhered to it
寄贈者(カナ) 髙土 冨美子(タカツチ フミコ)
寄贈者(英語) TAKATSUCHI Fumiko
受入年月日 2016/9/29
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 60×70×130
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 南竹屋町
被爆地(現町名) 南竹屋町
爆心地からの距離(m) 1,500
数量 1
内容 南竹屋町にあった髙土一三さん(当時53歳)の自宅焼跡から収集したもの。煉瓦製造や公衆浴場の経営など、手広く事業を営んでいた一三さんは、被爆時は尾長町で経営していた公衆浴場にいたため無事だった。一三さんの妻・キセさん(当時52歳)は建物疎開作業に出ていて被爆。大やけどを負って防火水槽に飛び込んだ。どうにか逃れたキセさんだったが体調は悪く、昭和27年4月に亡くなった。南竹屋町の自宅で被爆したと思われる孫の京子さん(当時4歳)は、昭和20年9月1日、段原国民学校で亡くなった。
一三さんの息子の明さん(当時17歳)は、志願兵として海軍へ行っており、被爆時には九州に駐屯していた。被爆後まもなく、「広島が大変なことになっているので、すぐに帰るように」と言われ広島へ戻り、自宅の焼け跡などの捜索をした。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 ガラスが付着した銚子
寄贈/髙土冨美子(タカツチ フミコ)氏
爆心地から1500m 南竹屋町
髙土一三(タカツチ カズソウ)さん(当時53歳)の自宅焼け跡から収集したもの。一三さんは、無事でしたが、自宅で被爆した孫の京子ちゃん(当時4歳)は、9月1日に亡くなりました。
展示説明文(英語) Choshi (sake flask) with pieces of glass attached to it
Donor: Fumiko Takatsuchi
Minami-takeya-cho, 1500m from the hypocenter
It was recovered from the burned ruins of the home of Mr. Kazuso Takatsuchi (53 years old at the time). Kazuso was safe, but his granddaughter Kyoko (4 years old at the time)was exposed to the bombing at home and passed away on September 1st.
資料性質 被爆資料

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