識別コード | 2101-0887 |
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資料名 | つぼ |
資料名(英語) | Vase |
寄贈者(カナ) | |
寄贈者(英語) | |
受入年月日 | 2015/08/05 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 170φ×255 |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 被爆1か月後頃、空鞘橋付近で見つけた壺。付近はガラスが粉々になって溶けている中で、まるで被害にあっていないかのように綺麗な壺だった。中には黒くなったお米が入っており、当時はお米を壺や瓶に入れて精米していたので、この壺の持ち主も原爆が落ちるまでは平穏に暮らしておられたのだろう、供養をしてあげなければ、という思いから持ち帰り、以来、今日まで毎朝拝んでいた。被爆当時、広島市内に入院していた寄贈者は、原爆が投下された前日の1945年(昭和20年)8月5日、外泊のため広島市郊外の実家に戻っていた。6日朝には市内へ戻る予定で駅まで行ったが、急な腹痛に襲われて帰ることができず実家に戻ったのだった。10時過ぎ頃、この駅には被爆した人たちがたくさん戻ってきた。近くのお寺では負傷者の治療が行われ、寄贈者も一日治療の手伝いをした。8日、広島市内の嫁ぎ先に戻ったところ自宅は幸い屋根が一部焼けただけだった。しかし、市内中心部に出かけていて被爆した義兄夫妻と義姉は、8月15日までに相次いで亡くなった。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | つぼ 寄贈/匿名 被爆1か月後頃、空鞘橋付近で見つけた壺。付近は様々なものが粉々に溶けている中で、まるで被害にあっていないかのように綺麗な壺でした。中には黒くなったお米が入っていました。当時はお米を壺や瓶に入れて精米していたので、この壺の持ち主も原爆が落ちるまでは平穏に暮らしておられたのだろう、供養をしてあげなければ、という思いから持ち帰り、以来、今日まで毎朝拝んでいました。 |
展示説明文(英語) | Vase Anonymous donation This vase was found near Sorazaya Bridge about one month after the atomic bombing. While a wide variety of items around the vase had been broken into pieces and melted, the vase maintained its beautiful shape as if it had not been A-bombed. The rice in the vase was charred black. People in those days polished rice by poking rice in a vase or bottle with a stick. Imagining that the owner of the vase had lived peacefully until the A-bombing, the donor of the item brought it home to pray for the repose of the owner’s soul, and has continued to offer prayer every morning to this day. |
資料性質 | 被爆資料 |