識別コード | 2101-0830 |
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資料名 | 小皿 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 明 恒次郎(アケ コウジロウ) |
寄贈者(英語) | Kojiro Ake |
受入年月日 | 2008/02/25 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 100Φ×25 |
被爆地(旧町名) | 石見屋町 |
被爆地(現町名) | 幟町 |
爆心地からの距離(m) | 1300 |
数量 | 1 |
内容 | 山陽中学校生だった明平八郎(あけへいはちろう)さん(当時15歳)は、柳橋東詰め付近(爆心地から1600m)で被爆、乗っていた自転車から身体が浮くほどの爆風に飛ばされ、気がつくと、近くの家の下敷きになっており、火が迫る中、自力で這い出した。父吾一(ごいち)さん(当時55歳)と母喜久子(きくこ)さん(当時47歳)は、石見屋町の自宅で被爆、幸いにも軽傷だった。兄の善次郎(ぜんじろう)さん(当時19歳)は、召集中で、白島の工兵隊で被爆、背中に五寸釘が刺さり、重傷を負って、浜田の陸軍病院に運ばれた。助からない人が貼られるという札を貼られていたが、8月23日ごろ、家族の避難先に帰ってきた。8月15日、平八郎さんと喜久子さんは、全焼した自宅に戻り、まだ熱い家の残骸の中から、これらの陶器類を掘り出した。自宅の庭には、家の一部を貸していた森婦人科の人と思われる3、4体の白骨遺体があった。1カ月後に家族4人とも嘔吐や下痢の症状を発症した。平八郎さんは、亡くなるまで、これらの陶器を大切に保存していた。 |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |