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被爆資料

識別コード 2101-0763
資料名 小鉢
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 明 恒次郎(アケ コウジロウ)
寄贈者(英語) Kojiro Ake
受入年月日 2008/02/25
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 95Φ×75
被爆地(旧町名) 石見屋町
被爆地(現町名) 幟町
爆心地からの距離(m) 1300
数量 1
内容 山陽中学校生だった明平八郎(あけへいはちろう)さん(当時15歳)は、柳橋東詰め付近(爆心地から1600m)で被爆、乗っていた自転車から身体が浮くほどの爆風に飛ばされ、気がつくと、近くの家の下敷きになっており、火が迫る中、自力で這い出した。父吾一(ごいち)さん(当時55歳)と母喜久子(きくこ)さん(当時47歳)は、石見屋町の自宅で被爆、幸いにも軽傷だった。兄の善次郎(ぜんじろう)さん(当時19歳)は、召集中で、白島の工兵隊で被爆、背中に五寸釘が刺さり、重傷を負って、浜田の陸軍病院に運ばれた。助からない人が貼られるという札を貼られていたが、8月23日ごろ、家族の避難先に帰ってきた。8月15日、平八郎さんと喜久子さんは、全焼した自宅に戻り、まだ熱い家の残骸の中から、これらの陶器類を掘り出した。自宅の庭には、家の一部を貸していた森婦人科の人と思われる3、4体の白骨遺体があった。1カ月後に家族4人とも嘔吐や下痢の症状を発症した。平八郎さんは、亡くなるまで、これらの陶器を大切に保存していた。
ブロック別 銀山・幟地区
展示説明文 自宅焼け跡から収集した陶器
寄贈/明恒次郎氏
爆心地から約1,300m 石見屋町(現在の幟町)
寄贈者の父で、当時山陽中学校の生徒の明平八郎さん(あけ へいはちろう 当時15歳)は、爆心地から約1,600メートルの柳橋東詰めで被爆。爆風に飛ばされ、近くの家の下敷になりましたが、火が迫る中、自力で脱出しました。石見屋町の自宅で被爆した両親は幸い軽傷で、無事に再会することができました。これは8月15日に平八郎さんと母親の喜久子さん(きくこ 当時47歳)がまだ熱い自宅の焼け跡から掘り出したもので、平八郎さんは亡くなるまで、これらを大切にしていました。
展示説明文(英語) Pottery recovered from the burnt rubble of a home
Donated by Kojiro Ake
Approx. 1,300m from the hypocenter Iwamiya-cho (now, Nobori-cho)
Heihachiro Ake (then, 15), the donor’s father, was a student at Sanyo Junior High School. He was exposed to the bomb at the eastern edge of Yanagi Bridge, about 1,600 meters from the hypocenter. Blown threw the air by the blast, he found himself trapped under a collapsed house but managed to struggle free as the flames drew closer. His parents at their home in Iwamiya-cho were uninjured so they were all reunited. Heihachiro and his mother Kikuko (then, 47) dug this pottery from the still-hot ruins of their house, and he kept it until his death.
資料性質 被爆資料

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