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被爆資料

識別コード 2101-0714
資料名 自宅焼け跡で見つけた茶わん
資料名(英語) Rice bowl found in remains of burnt house
寄贈者(カナ) 四竈 揚(シカマ ヨウ)
寄贈者(英語) Yo Shikama
受入年月日 2007/04/13
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 80Φ×65
被爆地(旧町名) 国泰寺町
被爆地(現町名) 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 修道中学校2年生の四竈揚さん(当時13歳)は南千田町の学校内で被爆。倒壊した校舎の下敷になったがどうにか脱出し、吉島へ逃れた。翌日・翌々日と家族の安否を求めて自宅焼け跡へ向かい、自宅台所付近でこの茶わんを見つけた。茶わんは火災で上薬が溶けてブツブツになり、ガラスや瓦礫が溶けて固まっていた。自宅焼け跡の門柱に残されていた伝言で、四竈さんの一家は再会することができたが、揚さんの姉で広島女学院高等女学校4年生の佑子さん(当時15歳)は、同校内の鉄道局で学徒動員中に被爆、倒壊した建物の下敷になって大けがを負い、約1カ月後、一家の避難先の双三郡で亡くなった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 修道中学校2年生の四竃揚さん(当時13歳)は、南千田町の学校内で被爆。倒壊した校舎の下敷になりましたが、かろうじて逃げ出しました。揚さんは、翌日から自宅付近で家族を捜している時に、焼け跡からこの茶わんを見つけました。やがて家族は再会することができましたが、揚さんの姉で広島女学院高等女学校4年生の佑子さん(ゆうこ 当時15歳)は、上流川町の学校内で被爆し約1ヵ月後に亡くなりました。
展示説明文(英語) Yo Shikama, (then, 13), a second-year student at Shudo Junior High School, was in his school in Minami-senda-machi at the time of the bombing. Trapped under a collapsed school building, he managed to escape from the rubble. The next day, while searching for his family in the area near his house, he found this rice bowl among the ruins of a burnt house. Although he was soon reunited with his family, Mr. Shikama's older sister, Yuko (then, 15), a fourth-year student at Hiroshima Jogakuin Girls High School, was exposed at school in Kami-nagarekawa-cho and passed away about one month after the bombing.
資料性質 被爆資料

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