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福岡県立医学歯学専門学校2年生だった寄贈者の向田一馬さん(当時20歳)は、広島に特殊爆弾投下のニュースを聞き、自宅のある広島に戻った。自宅は壊滅し、焼け跡で祖母サワノさん(当時65歳)の遺体を発見、顔はなく、腸がはみ出していた。ちぎって持ち帰った腰巻を母ヒデさんが確認、サワノさんであることがわかった。6日の朝、自宅にはサワノさん、ヒデさん、祖父常太郎(つねたろう)さん(当時68歳)、がいた。ヒデさんは二階を掃除中に被爆、瓦の下敷きになったが自力で脱出、幸い軽傷だったので親戚宅へ避難した。逃げる途中、川の対岸に常太郎さんを発見、「おいで、おいで」と呼びかけたが、「もうだめだ」と首を振ったのが常太郎さんの最期の姿となってしまった。軽傷だったヒデさんも、8月19日、大量に出血し、死亡した。妹で広島市立第一高等女学校生だった和代さんは学徒動員先の建物疎開作業現場で被爆。遺体すら見つかっていない。父政雄(まさお)さん(当時47歳)は饒津神社で被爆。顔や腕にケロイドを負った。この湯のみは、自宅の地下にあったもので、被爆5~6日後頃、弟静馬(しずま)さん(当時18歳)とともに自宅焼け跡で発見したもの。一緒に置いていた米は、黒焦げになっていた。湯のみの底の穴は戦後開けたもの。 |