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被爆資料

識別コード 2101-0671
資料名 陶器
資料名(英語) Pottery
寄贈者(カナ) 原田 敏之(ハラダ トシユキ)
寄贈者(英語) Harada Toshiyuki
受入年月日 2001/07/16
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 稲荷町
被爆地(現町名) 稲荷町
爆心地からの距離(m) 1450
数量 1
内容 市立中学校4年生の原田正俊さん(当時15歳)は、学徒動員先の南観音町の三菱重工業の工場で被爆した。友人と共に市内へ戻り、翌7日、ようやく自宅にたどりつくことができたが、自宅は全焼していた。動員学徒として、雑魚場町で建物疎開作業中に被爆、火傷を負った妹の和江さんを8月10日ごろようやくみつけたところ、和江さん「誰か探しに来てくれるか、と足おとがするたび廊下をみていた」と言い、正俊さんはその言葉が生涯忘れられなかった。和江さんは8月12日死亡した。この陶器は自宅防空壕にうめていたもの。
ブロック別 比治山・仁保地区
展示説明文 市立中学校4年生の原田正俊さん(当時15歳)は、学徒動員先の南観音町の工場で被爆しました。翌7日、ようやく稲荷町の自宅に帰りつきましたが、自宅は全焼で家族の行方も分かりませんでした。妹で広島女学院高等女学校2年生の和江さん(当時13歳)は、動員学徒として雑魚場町で建物疎開作業中に被爆し、大火傷を負って広島女子専門学校に収容されていました。8月10日、捜しにきた正俊さんとようやく再会することができました。他の人と同じように家族に看病してもらえるのが嬉しい、と言って喜んだ和江さんは、8月12日に亡くなりました。「廊下で足音が聞こえるたびに、誰か捜しに来てくれたか、と首を長くして待っていた。」という和江さんの言葉を、正俊さんは一生忘れることが出来ませんでした。この陶器は自宅の防空壕に埋めていたものでした。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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